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札幌高等裁判所 昭和40年(お)1号 決定 1969年6月13日

主文

本件再審請求を棄却する。

理由

(理由目次)

第一  再審請求の趣旨および理由……………………………………………………………………………………………………二六九

第二  当裁判所の判断…………………………………………………………………………………………………………………二六九

一  証拠の新規性と明白性……………………………………………………………………………………………………………二六九

二  弾丸の腐蝕状況に関する所論について…………………………………………………………………………………………二七三

(一) 証第一号について…………………………………………………………………………………………………………………二七四

(二) 証第二号について…………………………………………………………………………………………………………………二七七

(三) 証第三号の一および二について…………………………………………………………………………………………………二七八

(四) 証第四号、同第五号について……………………………………………………………………………………………………二七八

(五) 証第二〇号、同第二七号について………………………………………………………………………………………………二七九

(六) 証第二一号について………………………………………………………………………………………………………………二八四

(七) 証第二二号について………………………………………………………………………………………………………………二八四

(八) 証第二九号について………………………………………………………………………………………………………………二八六

(九) 当審下平供述について……………………………………………………………………………………………………………二八七

三  弾丸の綫丘痕等に関する所論について…………………………………………………………………………………………二八九

(一) 証第三号の三について……………………………………………………………………………………………………………二九一

(二) 証第三号の二、同第四号、同第六号、同第七号および当審原供述中それぞれ綫丘痕の幅を問題とする部分について………………………………………………………………………………………………………………………二九二

(三) 証第三号の二、同第六号、同第二八号および当審原供述中それぞれ綫丘痕の角度を問題とする部分について………………………………………………………………………………………………………………………………二九五

(四) 証第三号の二、同第四号、同第七号、当審原供述および当裁判所の照会に対する昭和四三年六月一七日付科学警察研究所長作成の回答書添付の鑑定書三通中、本件三個の弾丸表面の条痕を問題とする部分について…………………………………………………………………………………………………………………………二九九

四  一月四日の謀議の不存在に関する所論について………………………………………………………………………………三〇七

五  実行行為に関する所論について…………………………………………………………………………………………………三〇九

(一) 犯人の発射弾は一発であるとの点について……………………………………………………………………………………三〇九

(二) 犯人の自転車に関する点について………………………………………………………………………………………………三一二

(三) 白鳥課長の犯行前の足取りに関する点について………………………………………………………………………………三一三

(四) 犯人の犯行後の足取りに関する点について……………………………………………………………………………………三一五

六  追平雍嘉の供述の信憑性に関する所論について………………………………………………………………………………三一五

七  本件の捜査過程を批判する所論について………………………………………………………………………………………三一七

(一) 吉田哲の供述を引用する点について……………………………………………………………………………………………三一七

(二) 佐藤直道の供述の信憑性に関する点について…………………………………………………………………………………三一七

(三) 高安知彦の供述の信憑性に関する点について…………………………………………………………………………………三一八

八  いわゆる行動証拠に関する所論について………………………………………………………………………………………三二〇

九  結論…………………………………………………………………………………………………………………………………三二一

(用語例)

本決定においては、次の用語例を用いる。

一  「岡本鑑定書」とは、原第二審で取り調べられた鑑定人岡本剛作成の鑑定書を指す。

一  「長崎鑑定書」、「磯部鑑定書」とは、原第一審で取り調べられた鑑定人長崎誠三、同磯部孝作成の各鑑定書を指す。

一  「宮原鑑定書」とは、原第一審で取り調べられた宮原将平作成の「銅の腐蝕に関する二、三の実験」と題する書面を指す。

一  「原審岡本供述」「原審宮原供述」とは、原第二審証人岡本剛、同宮原将平の原第二審公判廷における各供述を指す。

一  「原審長崎供述」とは、原第二審証人長崎誠三に対する尋問調書中の供述記載を指す。

一  「原審磯部供述」とは、原第一審証人磯部孝に対する尋問調書中の供述記載を指す。

一  「原審高安供述」、「原審追平供述」、「原審佐藤供述」とは、原第一、二審証人高安知彦、同追平雍嘉、同佐藤(原第二審当時は伊藤と改姓)直道の原第一、二審公判廷における各供述(公判調書中の供述記載および証人尋問調書中の供述記載を含む。)を指す。

一  「当審下平供述」、「当審岡本供述」、「当審原供述」、「当審磯部供述」とは、当裁判所の事実の取調における、鑑定人兼証人下平三郎、同岡本剛、同原善四郎、同磯部孝の各供述を指す。

一  「白鳥課長」とは、昭和二七年一月二一日当時札幌市警察本部警備課長警部の職にあつた白鳥一雄を指す。

一  「原審」とは、特に「原第一審」又は「原第二審」と断らない限り、原第一審および原控訴審の訴訟手続を指す。

一  「綫丘痕」とは、弾丸が銃身内を通過する際銃身内の綫丘によつて生ずる痕跡を指す。また「条痕」とは同様に弾丸が銃身内を通過する際銃身内壁のこまかな起伏によつて生ずる線状の痕跡を指す。原判決および関係証拠において用いられている「綫条痕」は右の綫丘痕および条痕の両様の意味で用いられており、まぎらわしいので、本決定においては、この用語は用いない。

第一  再審請求の趣旨および理由

本件再審請求の趣旨および理由は、弁護人杉之原舜一外一七四名作成の再審請求理由書および同弁護人外一七三名作成の再審請求理由補充書に記載されているとおりであるから、それぞれこれを引用する。

第二  当裁判所の判断

一  証拠の新規性と明白性

本件再審請求は刑事訴訟法四三五条六号(以下「本号」という。)を根拠とするものであるところ、同号にいう「あらた」(以下「新規性」ともいう。)とは、証拠の発見の「あらた」なことをいい、その存在が原判決の以前より継続するとその以後新たに発生したとを問わない趣旨と解するのが相当である。以下、本件の判断に必要な限度で、これを若干補足すると、

(一)  「あらた」に当るとするためには、単に裁判所に対する関係のみでなく、再審請求者に対する関係でも右の要件を備えていることを要すると解すべきである。したがつて、再審請求者が原訴訟手続において提出することにつき法律上ないし事実上何ら障害のなかつた証拠を、その内容を認識予見しながらあえて提出しなかつた場合はこれを「あらた」な証拠として援用することはできない。

(二)  原審においてすでに証拠調請求がなされた証拠は、それが実際には取り調べられなかつたとしても、その内容を「あらた」な証拠に当るとして援用することは原則として許されない。なぜなら、裁判所としては証拠調請求がなされた段階で、当該証拠の証拠方法としての存在のみならず、その立証趣旨ならびに訴訟の経過等によつて、その証拠資料としての内容も一応予測したうえ、これを取り調べなかつたと認められるから、原判決確定後その内容が明らかにされたからといつてそれが当然に裁判所にとつて「あらた」なものになるとは考えられないからである。ただ、原判決確定後明らかにされた当該証拠の内容が、証拠調請求の段階で裁判所にとつて予測できなかつたものであると認められるときは、この限りでないと解すべきである(なお、この場合は当該証拠が原審に顕出されなかつた原因は専ら裁判所にあるのであるから、再審請求者においてその内容を認識予見できたかということは問題にならない。)。

(三)  証拠の発見は原判決の確定以前であつても、それを原訴訟手続において提出することが法律上又は事実上不能ないしは著しく困難であつたときは、なお当該証拠は新規性を持つと解すべきである。この関係で問題となるのは、証拠の発見が当該訴訟が上告審に係属していた時点においてなされたときである。本件において所論が引用するいわゆる新証拠には、その作成日時等からみてこの場合に当ると認められるものがかなり含まれている。刑事訴訟法四一四条、同三九三条によれば、法は上告審における事実の取調を全く排除しているとは考えられず、上告審が事実の取調をなし、かつその一方法として証拠を取り調べることも予想していると解され、したがつて、右のような場合でも、証拠調請求をなすこと等によつて当該証拠を上告審に提出する途は残されているといわなければならない。しかし、上告審が本来法律審であるところから、上告の趣意の実体が事実問題に関するときに、上告審がこの点をも判断の対象にすることは、例外的な場合として刑事訴訟法四一一条によりすべて上告審の裁量にかかつており、また右判断のため弁論を開いて事実の取調をするか否かも全く上告審の裁量に委ねられていると解され、したがつて、この点についての当事者の証拠調の請求は訴訟法上の権利ではなく、上告審の職権の発動を促す意味を有するに過ぎず、またそれに対する上告審の措置に対しては何らの不服申立も許されないと解される。すなわち、訴訟が上告審に係属中に発見された事実問題に関する証拠は、これを上告審の公判廷に提出することが全く不可能ではないとしても、それは全く上告審の裁量にかかることがらであり、しかもそれが許されるのは例外的な場合であるといい得るのである。そうだとすれば、証拠の発見が上告審係属中になされた場合には、それが原判決の確定以前であるとの一事をもつて、再審請求者が右証拠を「あらた」な証拠として援用することができないということは必ずしも当を得ていないというべきであり、右証拠は、なお「あらた」な証拠としての取扱いを受けると解するのが相当である。

なお、本件において、所論引用のいわゆる新証拠のいくつかは、本件上告審判決がそれに対して判断を示した上告趣意書ないし補充書に添付されて上告審に提出されており、そのことは事実上、上告趣意に関係する証拠方法の存在を上告審に認識させる作用を有したものと認められるけれども、上告審としては、これに、単に上告趣意の内容を理解させあるいはこれをふえんするという以上の意味を持たせなかったと理解する余地がある以上、当裁判所としては、右各証拠は、この事実があるからといつて新規性を失なうものではないとして取り扱うこととした。

(四)  「あらた」であるかどうかは、証拠方法および証拠資料の両面から考察されるべきであるが、問題となる証拠が鑑定人の鑑定であり、しかも原審においてすでに同一事項についての鑑定が存する場合は、鑑定人の代替性の故に、「あらた」であるか否かは証拠方法としての鑑定人についてでなく、もつぱら証拠資料としての鑑定内容によつて決せられるべきである。そして、その鑑定内容が従前の鑑定と結論を異にするか、あるいは結論を同じくする場合であつても鑑定の方法又は鑑定に用いた基礎資料において異なる等証拠資料としての意義、内容において異なると認められるときは、「あらた」な証拠に当ると解するのが相当である。

これに対し、鑑定の代替性ということを理由に、ある鑑定が新規性ある鑑定とみなされるためには、その鑑定がある問題点について原判決の基礎となつた鑑定と結論において相異なるということのみではいまだ十分でなく、その鑑定が従前の鑑定結果を覆えすに足る新たな基礎資料又はこれまで規準的とみなされている経験法則を動揺せしめるに足る新たな経験法則を有することを要するとする見解がある。しかし、一般に鑑定(人)の代替性ということは、ある鑑定事項について専門的知識を有する者である限り、鑑定人は特定の者に限られないということ、すなわち証拠方法としての鑑定人の代替性の意味を有するに過ぎない。したがつて、このことから、従前の鑑定と同一内容を有する鑑定の場合は、証拠方法としての鑑定人が異なるからといつて「あらた」な証拠とはみられないとはいえるであろうが、さらに進んで、前述したように、従前の鑑定とは証拠資料としての評価を異にすると認められる鑑定もまた「あらた」な証拠に当らないとまですることはできない。そのように解することは、本号にいう新規性と明白性の関係を不明にするのみならず、鑑定については、新規性の判断に当つて他の証拠方法の場合よりもはるかに厳格な要件を要求することになり(たとえば、原審における証人が原判決確定後原審当時とは異なつた供述をすれば、それは原則として「あらた」な証拠に当ると解されていることを留意すべきであろう。)、不当といわざるを得ない。

(五)  なお(四)に関連して述べると、原審において有罪判決の基礎となつたA鑑定とこれと同一事項に関し結論の異なるB鑑定と二個の鑑定が提出されており、新鑑定の結論がBに合致するときは、当該鑑定はAに対する関係では(四)に述べた要件を備えるけれども、それだけでは当然に本号の「あらた」な証拠には該当せず、同時にBに対する関係でも、(四)に述べた要件、即ち、「鑑定の方法又は鑑定に用いた基礎資料において異なる等」ということに合致する場合にのみ、「あらた」の要件を満たすことになる。

次に、本号にいう「明らかな」(以下「明白性」ともいう。)とは、有罪等の確定判決を覆えし無罪等の事実認定に到達する高度の蓋然性を意味し、かつ、右の明白性の判断は、新証拠と既存の確定判決の基礎となつた全証拠との総合的関連においてなされるべきである。

二  弾丸の腐蝕状況に関する所論について

所論は、札幌市郊外幌見峠から発見され、原判決において白鳥課長殺害の試射に供されたと認定された弾丸二発(札幌高等裁判所昭和三二年領第八八号の証第二〇七号―以下、「原審証第二〇七号弾丸」という。―および同第二〇八号―以下、「原審証第二〇八号弾丸」という。)は、その腐蝕状況からみて、原判決が認定するような一九月又は二七月という長期間にわたつて試射場所とされている幌見峠の土中に埋没していたとは認められないと主張し、その証拠として、証第一号(松井敏二作成の「幌見峠滝の沢附近の腐蝕土中における銅の腐蝕に関する二、三の知見」と題する書面)、同第二号「下平三郎作成の「北海道幌見峠滝の沢におけるニツケルメツキを施した銅の現場腐食試験結果報告書」と題する書面)、同第三号の一「ア・ビンベルグ外三名作成の「白鳥事件について弁護人の質問に対する回答」と題する書面)、同第三号の二(ア・ビンベルグ外三名作成の「外国の学者に呼びかけた日本の専門家の質問に対する回答」と題する書面)、同第四号(ヤン・ピエシチヤツク作成の「鑑定」と題する書面)、同第五号(ヤン・ピエシチヤツク作成の「東京の白鳥事件弁護団へ」と題する書面)、同第二〇号(下平三郎作成の「拳銃から発射された黄銅弾丸の腐食割れに関する実験報告」と題する書面)、同第二一号(長崎誠三作成の「弾丸の非破壊分析について」と題する書面)、同第二二号(宮原将平外三名作成の「岡本鑑定書批判」と題する書面)、同第二七号(下平三郎外三名作成の「発射された黄銅製弾丸の応力腐食割れ」と題する書面)、同第二九号(下平三郎外一名作成の「札幌市幌見峠において行なつた拳銃から発射された黄銅製弾丸の応力腐食割れに関する実験報告」と題する書面)および当審下平供述を引用する。

そこで考えるに、原判決は、本件白鳥課長殺害準備行為の一環として高安知彦および村手宏光らが昭和二七年一月上旬頃札幌市郊外幌見峠滝の沢の山林中で拳銃の射撃訓練を行なつた事実を認定し、かつ原審証第二〇七号、同第二〇八号弾丸(以下「本件各弾丸」ともいう。)はその際の発射弾丸でその後一九月又は二七月後に発見されるまでその現場に遺留されていたものであると認めている。ところで、原審証第二〇七号、同第二〇八号の各弾丸がその腐蝕状況からみて、一九月又は二七月という長期間にわたつて発見現場である幌見峠の山林に埋没していたと認められるかということは、右射撃訓練の事実を供述する原審高安供述等の信憑性とも関連して原訴訟手続においても重要な争点となつていたところであるが、原判決は、一定の腐蝕金属と腐蝕環境とが与えられた場合においても、金属の腐蝕形態だけからその腐蝕環境に放置された期間を推定することはほとんど不可能であると認められるとする岡本鑑定書および原審岡本供述を採り、右原審証第二〇七号、同第二〇八号の各弾丸がそれぞれ一九月又は二七月発見現場に埋没放置されていた可能性を否定することはできないとして、前記高安供述等を措信し前述した認定に到達していることが原判決上明らかである。しかし、所論引用の証拠によつて、右二発の弾丸の腐蝕状況につき所論のようなことがいえるならば、右各弾丸の証拠価値が否定されるのはもとより、前記高安供述等の信憑性にも影響するところが大きいと思われ、かつこのことは、原判決も指摘しているところである。そこで当裁判所の事実の取調の結果をも併せて、所論の引用する各証拠の証拠価値について慎重に検討を加えることとする。

(一)  証第一号について

証第一号は、北海道大学助教授松井敏二が札幌市郊外幌見峠滝の沢で行なつた実験の結果に関する報告書で、その内容は、「銅片と、銅、鉛、ニツケルを電気的に結合したものを、一〇ないし一五ずつ六月および一八月の長きにわたつて幌見峠の土中に埋めたものを、光学顕微鏡、電子線回折法等によつて観察した際の金属光沢の消失および腐蝕生成物の生成等の腐蝕状況からすれば、原審証第二〇七号、同第二〇八号の各弾丸が落葉腐蝕土中に二冬ないし三冬放置されていたとは考えられない。」というものである。

1 右証拠は、実験の方法において宮原鑑定書と基本的に同一であり、かつ結論もおおむねこれと同旨であるけれども、右宮原鑑定が実験室における実験であるのに対し、証第一号は実験場所として特に原審証第二〇七号、同第二〇八号の各弾丸が発見された幌見峠の現場付近を選んでいることからすれば、これと宮原鑑定書とは厳密にいうならば鑑定の方法において異なり、したがつて、証第一号は、右宮原鑑定書の存在の故に新規性を失なうものではないと解するのが相当である。

2 しかし、右証拠は、次の理由によりその新規性に疑いがある。すなわち、原第二審第三四回公判期日において、被告人(本件の請求人)の弁護人は、原審証第二〇七号、同第二〇八号の各弾丸について、それが発見まで幌見峠に埋没していたならば、その埋没の推定期間ということについて再鑑定を申請するとともに、鑑定の方法としては、右各弾丸の発見現場に数発の弾丸を埋め一定期間経過後のその腐蝕状況をも参考とするのでなければ十分でない旨述べており、かつ右の鑑定事項について弁護人が述べるような現場実験を行なうことが必要かつ相当であることはすでに原審長崎供述および同宮原供述に現われていたところであつたから、原裁判所としては、右各弾丸の発見現場に放置された腐蝕期間を推定する証拠として、右のような現場実験を伴つた鑑定のあり得ることを承知しつつ、なお前記鑑定の申請を却下したと認めざるを得ないのである。そうとすると、それにもかかわらず、証第一号が新規性を有するとするためには、前述したように(一の(二)、その鑑定結果が原裁判所に予測し得なかつたと認められることを必要とするというべきであろう。しかるに、すでに、実験室においてではあるけれども、証第一号とほぼ同一の実験結果を記載した宮原鑑定書が存在していたことからすれば、原裁判所が証第一号のような実験方法をとつた場合そこに記載されているような結果が現われることを全く予測し得なかつたとは考えられない。むしろ、原判決が「岡本鑑定書および原審岡本供述によると、金属の腐蝕は金属の種類、環境条件によつてその進行の可能性に著しく差異があり、また同一の金属でも金属表面状態と腐蝕性環境条件との相互作用によつて腐蝕反応の進行の速さにも腐蝕形態にも敏感に影響を与える。したがつて、一定の腐蝕金属と腐蝕環境とが与えられた場合においても、金属の腐蝕形態だけからその腐蝕環境に放置された期間を推定することはほとんど不可能であると認められる。」とし、かつ前記弁護人の再鑑定申請は、岡本鑑定書および原審岡本供述の公判顕出後原第二審第三六回公判期日において却下されていることをも考慮すると、原裁判所は右弁護人の再鑑定申請を容れた場合には証第一号に記載されているような実験結果の現われる可能性をも考慮に容れたうえで、そのような結果が現われたとしても、本件各弾丸が発見現場である幌見峠に放置された期間を推定することはできないとして右再鑑定申請を却下したものと解する余地が大きい。そうとするならば、右証第一号が新規性を持つと解することは疑問であるといわなければならない。

3 それならば、その明白性はどうか。前述したように、明白性の判断は新証拠と既存の確定判決の基礎となつた全証拠との関連において有罪等の確定判決を覆えし得るかどうかを問題とすべきであるが、原訴訟の経過および右証第一号の内容からみて、それはまず岡本鑑定書および原審岡本供述と対比しつつ、原審証第二〇七号、同第二〇八号の各弾丸がそれぞれ一九月又は二七月発見現場に埋没放置されていた可能性を否定し得ないとした原判示認定を覆えし得るかどうかの観点からその証拠価値の検討がなされるべきことは明らかであろう(このことは(二)以下に検討を加える所論引用の証拠についても同様であるといえよう。)。しかるところ、「金属の腐蝕は、金属の種類、環境条件によつてその進行の可能性には著しく差異があり、同一の金属でも金属の表面状態と腐蝕性環境条件との相互作用によつて腐蝕反応の進行の速さにも、腐蝕形態にも敏感に影響を与える」旨の岡本鑑定は、少なくとも、証第一号が指摘しているような金属光沢の消失および腐蝕生成物の生成等の腐蝕形態を問題とする限り、所論引用の各証拠によつてもこれを覆えし得ないのみならず、当審事実調の結果によればより信頼性の高いものとなつたといわなければならない。すなわち、当審下平供述および当審昭和四二年押第七三号の八ないし一一、一三ないし二七の各証拠によれば、後述する証第二〇号および同第二七号に記載されている中国における発射弾丸の腐蝕実験の結果においては、同一環境に同一期間放置した同一の金属的組成を有する各弾丸についても、腐蝕形態は一様でなく、特に一方の極では金属光沢をほとんど失ないかつ黒褐色の腐蝕生成物を生じ全表面が黒褐色に変つたものを生じた反面、他方の極では、これとは逆にほとんど金属光沢を失なつておらず、腐蝕生成物もわずかしか見受けられなかつたものを生じたことが明らかであるからである。そして、このことからすれば、証第一号に記載されているような屋外実験が直ちに無意味であるとはいい得ないにしても、右実験の結果から本件各弾丸の腐蝕環境に放置された期間を推定するについては、実験に供せられる金属片の金属的組成はもとより、その形状および表面状態をもできるだけ本件各弾丸に近似したものとすることが必要不可欠の条件と考えられるのである。しかるところ、証第一号に記載されている金属試片は、本件各弾丸とその形状を著しく異にする。特に、本件各弾丸はその表面部分をニツケルメツキで覆われ、かつニツケルメツキはその内部の銅等の金属の腐蝕防止作用を有すると認められるのに対し、証第一号の実験で用いられているような各金属試片の結合状況によつてはニツケルのこのような腐蝕防止作用を期待し得ないことを無視できない。のみならず、右金属試片は本件各弾丸と異なり拳銃によつて発射されるという物理的作用(それは当然に金属の表面状態に影響を及ぼすものと認められる。)も経ていない。そして、これらからすれば、証第一号に記載されている実験結果から、本件各弾丸がその発見現場に放置されていた期間を推定し得るとすることは疑問である。すなわち、証第一号は、本件各弾丸が一九月又は二七月発見現場に埋没放置されていた可能性を否定し得ないとした前記原判示認定を覆えすには足りないといわなければならない。

(二)  証第二号について

証第二号は、東北大学金属材料研究所教授下平三郎が、証第一号と同じく札幌市郊外幌見峠滝の沢で行なつた実験の結果に関する報告書で、その内容は、「ニツケルメツキを施した銅の丸棒を約一〇月にわたつて幌見峠の土中に埋めた後のものと、本件各弾丸の腐蝕状況を比較すれば、右各弾丸は幌見峠滝の沢の土中にそれぞれ一年七月、二年三月の間埋もれていたにしては、腐蝕孔の孔が浅く小さく不明瞭でかつ数が少なすぎる。」というものである。

1 右証第二号の新規性については、証第一号について(一)の1および2に述べたところがほぼこのまま当てはまる。

2 次に、その明白性についても、証第一号について(一)の3について述べたところが、ほぼそのまま当てはまる。すなわち、証第二号の実験において用いられている金属試片はその形状等をできるだけ本件各弾丸に近づけるためニツケルメツキを施した銅の丸棒を用いている点において、実験方法は証第一号より一歩進んでいると認められるとはいえ、本件各弾丸とはなお相当形状を異にし、また拳銃からの発射という操作も経ていないこと等からすれば、証第二号に記載されている実験結果から本件各弾丸がその発見現場に放置されていた期間を推定することには疑問がある。すなわち、証第二号も前記の原判示認定を覆えすには足らないといわなければならない。

(三)  証第三号の一および二について

証第三号の一および二は、ソビエトの刑事学者ア・ビンベルグ外三名の共同作成にかかり、本件各弾丸の腐蝕状況に関連して金属の腐蝕に関する意見を述べたものである。

しかし、右各証拠は、いずれもおおむね金属の腐蝕に関する一般的な原則を述べるにとどまり、原審岡本供述あるいは同長崎供述に現われている事項であるため新規性を欠くか、あるいは、そうでないとしても、明白性の点で、本件各弾丸が幌見峠に埋没されていた期間の推定について直接の関係を持ち得ないものというのほかない。

(四)  証第四号、同第五号について

証第四号、同第五号は、いずれも、チエコスロバキヤ、チヤールズ大学法学部刑事学研究室ヤン・ピエシチヤツクの作成にかかるもので、その内容は「ローム土壌の射撃訓練場に最大限六ケ月埋没していたニツケルメツキ・スチール製のベルギー製弾丸の表面の多くの部分は激しい腐蝕の進行によつておかされていた。一方、ニツケルメツキ・銅製のアメリカ製弾丸を高度の湿度が維持された落葉腐蝕土に約二週間にわたつて埋没したところ、腐蝕環境の影響は弾丸の上に発見され、特に銃身を通過する際にできる溝の部分において金属光沢は完全に消失していた。」というものであり、なお、そのほか、金属の腐蝕に関する一般的意見も併せ述べている。

1 右各証拠の新規性については、証第一号について(一)の1および2について述べたところがほぼそのまま当てはまる。

2 次に、その明白性についても右証第一号について(一)の3に述べたところが同様に当てはまる。すなわち、証第二〇号および同第二七号に記載されている中国における発射弾丸の腐蝕実験の結果によれば、同一環境に同一期間放置された同一の金属的組成を有する各弾丸についても、金属光沢の消失および腐蝕生成物の生成等の腐蝕状況は一様でなかつたことからすれば、実験に供せられた弾丸の金属的組成ないしその表面状態等が本件各弾丸とどの程度の類似性を有していたかも明らかでない、右証第四号、同第五号の実験の結果によつて(なお、右実験は証第一号、同第二号の実験とは異なり、腐蝕環境の点でも本件各弾丸の場合とは異なるということも無視できない。)、本件各弾丸が幌見峠に埋没されていた期間を推定することは、当を得ていないものというべく、結局、右各証拠も前記原判示認定を覆えし得ないといわなければならない。

3 なお、右証拠中、金属の腐蝕に関する一般的な意見を述べる部分は、証第三号の一および二について(三)に述べたところと同じ理由により、新規性ないし明白性を持たないといわなければならない。

(五)  証第二〇号、同第二七号について

証第二〇号は、東北大学金属材料研究所教授下平三郎の作成にかかるもので、その内容は、「中国の学者と協力して中国吉林省東部および西部の山林内で地表、地中および大気中に発射済みの拳銃弾丸多数を一九月又は二七月放置したところ、二七月放置したものはそのすべてに、また一九月放置したものについてもそのほとんどに、くびれおよび綫丘痕という応力がかかつたと認められる部位を中心に応力腐蝕割れを生じていた。一方、別の金属試片を用いての実験によれば、右の中国における実験場所と本件各弾丸が発見された幌見峠の山林中とでは、後者の方が腐蝕性が強いと認められる。したがつて、右各弾丸は、幌見峠の山林中においては、必ず応力腐蝕割れを発生するものと思われる。」というものである。次に、証第二七号は右下平三郎ほか三名の作成にかかるもので、その内容は、右証第二〇号とおおむね同一である。

1 右証拠の新規性についても、証第一号について述べたように((一)の2)、原審において前述したような再鑑定の申請がなされていることからすれば全く疑問がないわけではない。しかし腐蝕の一形態としての応力腐蝕割れは学問的には広く知られてはいたものの、本件各弾丸にそれが存在することを認め、あるいは発射弾丸を土中に埋没等した場合にそれが生ずることを予測したものは、原審で取り調べた腐蝕に関係する証拠中にも全く見当らず(原審鑑定人岡本剛は、当審において、原審で本件各弾丸につき鑑定をなした際、応力腐蝕割れということは全く念頭になかつたと述べている。)、このことからすれば、証第二〇号、同第二七号に記載されている屋外実験におけるような条件を設定した場合そこにあるような応力腐蝕割れが生ずるということは原裁判所の予測し得なかつたところと認められる。そうとすれば、前述したところにより(一の(二))、証第二〇号、同第二七号は新規性を有するものと解するのが相当である。

2 そこで進んで、その明白性について検討する。思うに、証第二〇号、同第二七号に記載されているような実験の結果、そこに記載されているように実験に供せられた弾丸中二七月放置されたものはそのすべてに、また一九月放置されたものについてもそのほとんどに、くびれおよび綫丘痕という応力がかかつたと認められる箇所を中心として応力腐蝕割れを生じたことは、当裁判所としても疑うものではない。

この点金属光沢の消失および腐蝕生成物の生成等については、前述したように実験に供せられた各弾丸間に顕著な差がみられたのとは異なるのである。また、右実験に際しては合計四八〇個という多くの数の弾丸を用いるとともに、実験の条件を管理し、できるだけ外界の自然のままの状態におくよう周到な配慮がなされたことが認められるのである。右実験の結果は科学的に貴重なものと認められ、後述する証第二九号の結果をも併せ考えれば、右実験に供せられた弾丸とほぼ同一の金属的組成を有する弾丸を土中に埋没し一九月又は二七月放置したならば、弾丸の応力がかかつた箇所を中心として応力腐蝕割れの結果がもたらされる可能性が大きいといつてよいであろう。

しかし、再審請求の当否を問題とする本件において問題なのは、右の可能性の大小ということではなく、―もとよりこれと無関係ではないが―右実験の結果から、「本件各弾丸が発見現場である幌見峠に一九月又は二七月放置されていた可能性を否定することはできない。」との原判示認定を覆えし得るかどうかということである。そして、当裁判所としては前述した可能性の大きいことを承認しつつも、以下述べる理由により、なお、右の原判示認定を否定し去るまでの心証には到達しない。

(1) 応力腐蝕割れが応力のかかつた箇所に生ずるものであることおよび発射弾丸の応力がかかつた箇所としてはくびれおよび各綫丘痕を考え得ることは、証第二〇号、当審下平供述および同岡本供述により明らかである。しかるに、当審下平供述によれば、実験の結果応力腐蝕割れを生じた弾丸についても、右の腐蝕割れは、右の応力のかかつたと考え得るすべての箇所に生じたわけではないことが窺える。そして当審下平供述および同岡本供述を総合すれば、その原因としては、一方において、ひとしく応力のかかつた箇所であつても、その部位の金属格子欠陥によつて応力の作用が同一ではないということが考えられるとともに、他方においては、右の応力がかかつた各箇所をとりまく水、空気等の腐蝕条件が厳密にいうならば同一とは言い得ないということを考え得ると認められるのである。すなわち、可能性としては前述した金属的組成を有する弾丸を前述した条件下に放置したならば、その弾丸に応力腐蝕割れを生ずる可能性が大きいといえるとしても、綫丘痕等応力のかかつた箇所それぞれについてみるならば、金属の格子欠陥あるいは右箇所をとりまく腐蝕環境のいかんによつては、そこに応力腐蝕割れを生じない箇所もあり得ると考えられるのである。そしてまた、このように考え得るとするならば、前述した金属的組成を有し、かつ前述した条件下に放置された各弾丸であつても、そのなかには、応力のかかつた箇所と認められる綫丘痕等の金属格子欠陥およびこれを取り巻く腐蝕環境のいかんによつて右綫丘痕等のすべてに応力腐蝕割れを生じない、すなわち、弾丸全体に全く応力腐蝕割れを生じないものがあり得るということの可能性もまた否定できないのではないだろうか。証第二〇号および同第二七号に記載されている中国における実験によつても、第一試験場において一九月経過後に観察された弾丸についてはすべて応力腐蝕割れが生じていたわけではないこと(当審下平供述によれば、一〇〇個中一一個―一一%―に応力腐蝕割れを生じなかつたことが認められる。)、また、後述するように、証第二九号に記載されている幌見峠の実験においても、三二個中二個(六%)にすぎなかつたとはいえ、二七月間土中に埋没されながら全く応力腐蝕割れを見出し得なかつた弾丸があつたことは、いずれもこのような推論を裏付けるものと解し得よう。

(2) 次に、当審下平供述および同岡本供述によれば、金属の腐蝕が腐蝕性環境条件によつて著しく影響されるということは応力腐蝕割れについてもまた例外でないと認められ、したがつて、証第二〇号、同第二七号に記載されているような実験を行なうについては、その腐蝕環境をできるだけ本件弾丸が発見された現場である幌見峠に近づける必要があるといわなければならないであろう。この意味で、証第二〇号、同第二七号に記載されている実験が幌見峠と遠くはなれた中国においてなされているということが問題とされてよいであろう。もちろん、右実験が実験場所として幌見峠に比較的気象条件が近い場所を選んでいること、しかも、右の実験場所と幌見峠とで、腐蝕環境としていずれが厳しいかという実験をも併せ行なつており、その結果腐蝕環境としては幌見峠の方が厳しいという結論を導き出しているということは当然考慮に入れなければならない。しかし、右の実験場所と幌見峠の腐蝕性の強弱に関する結論は、同一金属試片を同一期間両場所に放置したうえ、その表面状態(金属光沢の喪失ないし腐蝕生成物の生成程度および腐蝕孔の有無ないし数)ならびに重量減を比較したうえでの推論であるということは留意を要する。なぜなら、このような表面状態の変化ないし重量減等の腐蝕形態が応力腐蝕割れといかなる関係を持つかは必ずしも明らかでないし(当審岡本供述には、実験の結果、腐蝕孔が応力腐蝕割れに移行する形態がみられたとする部分があるが、同鑑定人自身、いまだこれを一般論としてまではいつていないし、また、下平鑑定人は、腐蝕孔から応力腐蝕割れへの移行を肯定する供述はしていない。)、また、証第二〇号、同第二七号の実験結果をみても、実験に供せられた弾丸は大多数応力腐蝕割れを生じながら、その表面状態の変化は前述したように必ずしも一様でなかつたことからしても、前述した表面状態の変化ないし重量減等をもたらす腐蝕環境の強弱がそのまま応力腐蝕割れについての腐蝕環境の強弱としても妥当するとは直ちにはいい得ないと考えられるからである。また、この点を別としても、右腐蝕性の強弱の実験に関して無視できないのは、ある場所の腐蝕性の強さは金属材料の種類により異なるということである。このことは、証第二〇号自体において述べられているところであるが、また同号に記載されている、幌見峠と中国の腐蝕性の強弱に関する実験の結果において、結論として幌見峠が強いとされながら、腐蝕性の強さは、黄銅、ニツケルメツキ黄銅、軟鋼の各金属によつて差があつたことからも窺える。それならば、本件各弾丸に対する二つの場所の腐蝕性の強弱は、これと同一ないし類似の金属的組成を有する弾丸によつて比較実験をしなければ、いちがいにそのいずれが強いということは言い得ないはずではなかろうか。ちなみに、当審昭和四二年押第七三号の八ないし一一、一三ないし二七、九四ないし一二五によれば、証第二〇号に記載されている中国を実験場所とする弾丸の多くは金属光沢を失ない腐蝕生成物を生じているのに対し、同第二九号に記載されている、二七月の間幌見峠に埋没された同一組成の弾丸は、いずれもほとんど表面の金属光沢を失なつておらずかつ腐蝕生成物も綫丘痕の部分を除いては生じていないのである。両者の埋没の時期が季節的に若干ずれているということを考慮しても、このことは、弾丸に対する腐蝕性は幌見峠が中国の実験場所よりも強いということに疑問を投げかけるものというべきである。

(3) さらに、当審下平供述および同岡本供述によれば、金属の種類ないし組成ということが応力腐蝕割れについても重要な意味を持つと解されるのである。しかるところ、証第二〇号および同第二七号の実験に供せられた弾丸の亜鉛含有率は、中国科学院研究所の分析によれば、ドイツ製弾丸で三二・六七%、ベルギー製弾丸で三六・二四%となつており、右数字の科学的信頼性に疑問を抱かせる点は見当らない。一方、当審鑑定人戸苅賢二作成の鑑定書によれば、本件各弾丸の亜鉛含有率は、原審証第二〇七号弾丸では、螢光X線分析によれば三〇・六%、X線回折によれば三二・二%、また原審証第二〇八号弾丸では螢光X線分析によれば二八・六%以上、X線回折によれば三一・〇%と認められ、そのいずれをとつてみても証第二〇号および同第二七号の実験に供せられたドイツ製又はベルギー製弾丸よりも少ないことが明らかである。そして、当審下平供述によれば、この程度亜鉛含有率が少ないということは、応力腐蝕割れの発生に顕著な影響を及ぼすものではないにしても、証第二〇号および同第二七号の実験に供せられた弾丸に比べいく分それが発生しにくいという程度の意味は持ち得ると認められるのであり(ちなみに、当審下平供述によれば、中国の第一試験場において一九月経過後に応力腐蝕割れを生じなかつた弾丸は、ベルギー製は五二個中三個であるのに対し、ドイツ製は四八個中八個で、その割合は、亜鉛含有率の少ないドイツ製のものが圧倒的に高いし、また後述する証第二九号の実験において応力腐蝕割れが発生しなかつたのは、やはり亜鉛含有率が少ないドイツ製弾丸ばかりである。)、この亜鉛含有率の差ということも、証第二〇号および同第二七号の実験の結果を直ちに本件各弾丸につき推し及ぼすことを躊躇させるものである。

以上を要するに、証第二〇号および同第二七号に記載されている実験の結果から直ちに、本件各弾丸が幌見峠に一九月又は二七月埋没されていたとするならば必ず応力腐蝕割れを生ずるとまで断定することにはなお疑問が残ることを否定し得ない。すなわち、右各証拠によつても、本件各弾丸が一九月又は二七月幌見峠に埋没されていた可能性を否定することはできないとの原判示認定を覆えすことはできないといわなければならない。

(六)  証第二一号について

証第二一号は、長崎誠三の作成にかかるもので、その内容は、「螢光X線分析とX線回折とを併用することにより、非破壊的に弾丸の材質を腐蝕問題を討論するのに充分な精度で決定できることが、実験による測定の結果明らかになつた。」というものである。

しかし、弾丸の組成を非破壊的に分析することの可能なことは、すでに原審長崎供述にあらわれているところであるから、右証拠が新規性を持つとすることには疑問がある。かりに、右証第二一号の内容が実験による測定を伴なつているという点においてこれを伴なわない原審長崎供述とは証拠としての意義、内容を異にし、したがつて新規性を持つとしても、それのみをもつてしては、明白性の点で前記原判示認定を覆えすには到底足りないといわなければならない。

(七)  証第二二号について

証第二二号は北海道大学理学部教授宮原将平外三名の作成にかかるもので、その内容は、岡本鑑定書および原審岡本供述を批判し、「(a)本件各弾丸には、岡本鑑定書にいう腐蝕孔の存在は確認できない。(b)岡本鑑定書において本件各弾丸のめつき剥離部に認めたとされる結晶粒界の選択的腐蝕溝は岡本鑑定人の鑑定手続によつては観察不可能と考えられる。(c)岡本鑑定書の、本件各弾丸についての腐蝕原因および幌見峠への放置期間推定不可能とする点は、現場実験と各種腐蝕形態の具体的検討によつて一定範囲までの推定は可能である。」というものである。

1 まず、(a)の点については、すでに原審において、本件各弾丸につき腐蝕孔の存在を認め難いとする長崎供述が存在するけれども、長崎供述にいう腐蝕孔は肉眼あるいは虫眼鏡でみえる程度のものを意味していると認められるのに対し、当審岡本供述によれば、岡本鑑定書にいう腐蝕孔は光学顕微鏡で観察した一〇分の一ミリないし一〇〇分の一ミリ程度のものと認められるから、両者のいう腐蝕孔は必ずしも同一意味のものとは認められないから、証第二二号のこの点に関する記載は新規性を有するものと認めてよいであろう。しかし、その明白性について考えるに、証第二二号において宮原将平他三名が腐蝕孔の存在に疑問を持つた原因は、岡本鑑定人が腐蝕孔の寸法、数量、位置を明らかにしていないことおよび腐蝕孔の写真をとつていないことに尽きるのであり、これだけの根拠をもつてしては、その作成者が直接本件各弾丸を顕微鏡で観察したうえ原審および当審において腐蝕孔の存在を明言している岡本鑑定書の信憑性を覆えすには足りない。

2 次に、(b)の選択的腐蝕溝の存在については、やはり原審において結晶粒界が見えなかつた旨の原審長崎供述および同宮原供述が存在するけれども、その根拠は証第二二号とは若干異なるから、この点の記載も新規性を有するとしてよいであろう。次に、その明白性について考えるに、証第二二号は岡本鑑定人の認めた結晶粒の大きさが一、〇〇〇分の一ミリ程度であつたとするならば倍率八〇〇倍の顕微鏡でこれを観察することは不可能である旨を強調しているのであるが、当審岡本供述によれば、原審記録中において同鑑定人が「結晶粒の大きさ」を一、〇〇〇分の一ミリ程度と判断した旨の記載部分は「結晶粒界の大きさ」の誤植であると認められるから、証第二二号の見解は多少異なつた前提に立つていることになる。ただ岡本鑑定人が当審において、証第二二号の記載をも参照すると選択的腐蝕溝の存在を現在では疑問に思う旨述べていることも考えると、選択的腐蝕溝が存在したことは疑わしいと認められ、岡本鑑定書および原審岡本供述はその限度で信頼性が薄らだことは否定できない。しかし、当審岡本供述は、選択的腐蝕溝らしいものを認めたという限りにおいてはなお従前の供述を維持しているし、一方、それが選択的腐蝕溝以外のものであるとするならばそれは何か思い浮かばないとの趣旨の供述をしていることからすれば、本件各弾丸のメツキ剥離部分の結晶粒界に選択的腐蝕溝がなかつたとも断じ難いのである。

のみならず、岡本鑑定書の内容からみて、本件各弾丸に右選択的腐蝕溝の存在が認められないとしても、前述したように腐蝕孔の存在が否定できない以上、これによつて同鑑定書の結論が左右されるとは認められないところである。

3 次に、(c)については、すでに原審において、腐蝕原因および腐蝕環境への放置期間の推定について現場実験の有用性を唱える原審長崎供述および同宮原供述があるところ、証第二二号もこれを若干詳細に述べるだけで特に新たな科学的根拠をつけ加えるものとは認められない。したがつて、この点の記載は新規性を欠き、かつ明白性の観点からも、それのみをもつてしては岡本鑑定書および原審岡本供述の信憑性を覆えすには足りない。

以上みたとおり、証第二二号は部分的に新規性は有するけれども、明白性の観点からは岡本鑑定書および原審岡本供述の信憑性を否定し去るには足らず、また右岡本鑑定書等を基礎とする前記の原判示認定を覆えし得ないといわなければならない。

(八)  証第二九号について

証第二九号は、東北大学金属材料研究所教授下平三郎の作成にかかるもので、その内容は、拳銃からの発射弾丸三二個を札幌市幌見峠の山林の土中に二七月放置したところ、その九四%にあたる三〇個に応力腐蝕割れを生じたというものである。

1 右証拠は、(五)の1で述べたのと同一の理由によし新規性を有するものと認められる。

2 しかし、その明白性については(五)の2の(1)および(3)で述べたところがほぼそのまま当てはまり、前記の原判示認定を覆えし得ないといわなければならない。すなわち、証第二九号の結果によれば、同号に記載されている実験に供せられた弾丸とほぼ同一の金属的組成を有する弾丸を二七月土中に埋没し放置したならば綫丘痕等弾丸の応力のかかつた箇所に応力腐蝕割れの結果がもたらされる可能性が大きいと認められる。また、証第二九号の実験は証第二〇号、同第二七号の実験と異なり実験場所に本件各弾丸が発見された幌見峠を選んでいる点において本件各弾丸の発見現場への放置期間の推定という具体的問題については、証第二〇号、同第二七号に比べより有力な資料であることもこれを否定できない。しかし、証第二九号の実験弾丸のうち応力腐蝕割れの生じたものについても、割れは応力がかかつたと認められるすべての箇所に生じたわけではないことは当審下平供述によつて明らかであり、このことは、証第二〇号、同第二七号について述べたのと同じく、前述した金属的組成を有する各弾丸を前述した条件下に放置した場合に、そのなかには各綫丘痕等の金属格子欠陥およびこれを取り巻く腐蝕環境のいかんによつて全く応力腐蝕割れを生じないものがあり得る可能性を推測させるものである。特に、証第二九号の実験については、二七月経過後において全く応力腐蝕割れを生じなかつた弾丸が二個あつたことを無視できない。この点に関し、下平鑑定人は、証第二〇号および同第二七号の中国における実験では二七月腐蝕環境に放置された弾丸は一〇〇%応力腐蝕割れを生じたのに対し、証第二九号の幌見峠における実験ではそれが九四%にとどまつた原因として、幌見峠の実験に供せられた弾丸は、中国の実験に供せられた弾丸に比べ発射後の経過年月が長く、これにより応力が多少もどつたことが考えられるとしている。しかし、これは何故に発射後の経過年月がひとしい幌見峠の実験に供せられた三二発の弾丸のうち二発だけに応力腐蝕割れが生じなかつたかということについての的確な説明にはなりえないであろう。

なお、当審下平供述によれば、証第二九号の実験に供せられた弾丸の亜鉛含有率は、証第二〇号、同第二七号の実験に供せられた弾丸のそれと同一と認められ、これと本件各弾丸の亜鉛含有率との比較から本件各弾丸の方が証第二九号の実験に供せられた弾丸よりもいく分応力腐蝕割れが発生しにくいといい得、このことが証第二九号の実験結果を直ちに本件各弾丸につき推し及ぼし得ない根拠となることについては、証第二〇号および同第二七号について述べたところがそのまま当てはまる。要するに、証第二九号によつても、本件各弾丸が一九月又は二七月幌見峠に埋没されていた可能性を否定することはできないとの原判示認定を覆えすには足りない。

(九)  当審下平供述について

当審下平供述は、すでに考察した証第二〇号、同第二七号、同第二九号とほぼ同一内容でこれを若干ふえんするものである。したがつて、右各号証について述べたのと同一の理由により、新規性は認められるけれども、明白性の点で前記原判示認定を覆えすには足らないといわなければならない。

以上みたとおり、弾丸の腐蝕状況に関する所論引用の各証拠によつても、原審岡本供述および岡本鑑定書に基づき、本件各弾丸が一九月又は二七月幌見峠に埋没していた可能性を否定することはできないとした原判示認定はこれを覆すことはできない。したがつて、所論のように、本件各弾丸を全く証拠価値のないものとして(あるいは、さらに捜査機関の陰謀による捏造証拠として)これを排斥することはできないのである。しかし、他方、所論引用の証拠中、証第二〇号、同第二七号、同第二九号、当審下平供述および同岡本供述によれば、本件各弾丸につき前記の可能性を否定することはできないとしても、その度合いはむしろ小さいと認められることおよび岡本鑑定書において同鑑定人がこれを認めたとする選択的腐蝕溝の存在が疑わしくなつたことはさきにみたとおりであり、これによれば、本件各弾丸の証拠価値が原判決当時に比べいささか薄らいだことは否定できない。このことは、白鳥課長殺害計画準備行為の一環として、札幌市郊外幌見峠において拳銃発射訓練が行なわれたとの事実認定の基礎となつた他の証拠の信憑性にいかなる影響を及ぼすか。

右証拠のうちでも、重要なのは、直接右拳銃発射訓練の事実を供述する原審高安供述および村手宏光の検察官に対する昭和二八年一〇月一三日付第一三回供述調書であると思われるが、もし、所論のように、本件各弾丸がその腐蝕状況からみて、発見現場である幌見峠に一九月又は二七月放置されていたものとは認められないとするならば、そのこと自体をもつて、右高安および村手の供述はその信憑性に関し重大な影響を受けざるを得ないであろう。なぜなら、もしそうとするならば、人里離れた本件幌見峠の山中に偶然発射弾丸二発が埋没されているということはおよそ考えられないということからみて、本件各弾丸は、所論のように捜査機関が故意に埋没し、それをあたかも高安の自供によつてはじめて発見したように行為したと認める余地が大きいからである。しかし、所論引用の証拠によつて明らかにされた事実が前述した限度にとどまるならば、それは、弾丸の腐蝕状況からみても、高安らの供述するような拳銃射撃訓練の事実がなかつたとまではいえないということを意味し、したがつて、このことから直ちに前記高安および村手らの供述の信憑性を否定し去るわけにはいかないと考えられるからである。そして、所論引用の証拠によつて明らかにされた前記事実を念頭におきつつ検討しても、当裁判所としては、右高安らの供述を信用すべきものとした原判示認定と異なつた結論には到達し得ない。すなわち、右高安、村手らの供述の具体性、それらが相互に相補強し合うものであることのほか、それらが原判決挙示の他の証拠によつても補強されていることからそのように考えざるを得ないのである。特に当裁判所としては、右の原判決挙示の証拠中、押収にかかる手りゆう弾(鑑定のため分解したもの)(札幌高等裁判所昭和三二年領第八八号の証第一号)の存在を重視する。すなわち、右手りゆう弾はきわめて特異の形状および構造を有するものであるが、原審高安供述(特に、原第一審第一二回および第一九回各公判調書中の供述記載)、高安の検察官に対する昭和二八年八月一六日付第五回供述調書、原第一審第五回公判調書中の証人清野行雄の供述記載、司法警察員作成の昭和二八年八月九日付実況見分調書等によれば、これは幌見峠で拳銃射撃訓練をした当日手りゆう弾の爆発実験をも行なつたとの高安の供述に基づき、同人の供述する実験現場付近を捜索した結果発見されたうえ高安によつてそれが実験に供せられたものとほぼ同一の形状を有することを確認されているものであることが明らかであり、このような特異な形状および構造を有する手りゆう弾が高安の供述によつてその供述する爆発実験現場から発見されたという事実は、その日併せて幌見峠で拳銃射撃訓練をも行なつたとの同人の供述およびこれにおおむね符合する前記村手宏光の検察官に対する供述調書(なお、このほか、同人の検察官に対する昭和二八年一〇月一六日付第一四回供述調書も手りゆう弾の爆発実験について供述している。)の信憑性を強く裏付けるものというべきである。

以上の次第で、本件各弾丸の腐蝕状況に関する所論引用の各証拠は、原判示の白鳥課長殺害準備行為の一環としての幌見峠における拳銃発射訓練の事実、ひいては白鳥課長殺害の事実につき明白性を有しないといわなければならない。

三  弾丸の綫丘痕等に関する所論について

所論は、原判決は、本件白鳥課長殺害計画の一環として高安知彦らが昭和二七年一月上旬頃札幌市郊外幌見峠滝の沢の山林中で拳銃の射撃訓練を行なつたものであり、かつ本件各弾丸はその際の発射弾丸であると認定するとともに、白鳥課長の殺害は右射撃訓練の際に用いられたものと同一の拳銃をもつて行なわれたとの趣旨の認定をしているけれども、白鳥課長の体内から摘出された弾丸(札幌高等裁判所昭和三二年領第八八号の証第二〇六号―以下、「原審証第二〇六号弾丸」又は「摘出弾丸」という。)と本件各弾丸の綫丘痕およびこまかな条痕等を比較すると、両弾丸は同一の拳銃から発射されたものではないことが認められると主張し、その証拠として、前掲証第三号の二、同第四号、証第三号の三(ア・ビンベルグ外三名作成の「白鳥事件に関する専門家=刑事学者の結論」と題する書面)、同第六号(原善四郎作成の「白鳥事件弾丸の旋条痕の幅および角度測定報告」と題する書面)、同第七号(ヤン・ピエシチヤツク作成の「白鳥事件に関する磯部教授の鑑定書に対する意見」と題する書面)、同第二八号(原善四郎作成の「同一ピストルから発射された弾丸の旋条痕角度の測定結果について」と題する書面)および当審原供述ならびに当裁判所の照会に対する昭和四三年六月一七日付科学警察研究所長作成の回答書添付の鑑定書三通を引用する。

そこで考えるに、所論指摘の本件各弾丸と摘出弾丸の綫丘痕等の同一性ないし類似性ということは、原訴訟手続においても重要な争点となつたところであるが、原判決は、「磯部鑑定書および原審磯部供述によれば、同鑑定人は、本件三個の弾丸の肉眼的観察に際し相互に類似するせん条痕のみを選んで観察を下したもので、類似しないせん条痕の有無およびその相異性については深い注意が払われなかつたこと、類似するせん条痕の比較対照は主としてせん条痕の幅と長さに基づいてなされたもので、その深さの測定、対照はなされなかつたことを認めることができるが、しかし、右鑑定書および供述によると、(一)本件各弾丸および摘出弾丸はいずれも右旋六条、傾角五度半の腔せんを有する銃器により発射された弾丸で、(二)右弾丸を発射するに使用された銃器はいずれも公称口径七・六五粍ブラウニング自動装填式拳銃又は同型式の腔せんを有する拳銃であり、(三)三弾丸のせん条痕を比較顕微鏡を用い互に比較対照した結果、一号と二号、一号と三号、二号と三号のいずれにもきわめて類似する一致点が発見されたとの結論が可能である。」としたうえ、右磯部鑑定書等と、前記のように幌見峠における射撃訓練の事実を供述する原審高安供述等の他の証拠を総合して所論のような趣旨の認定に到達していることが明らかである。しかし、本件各弾丸と摘出弾丸の綫丘痕等につき所論のようなことがいえるならば、高安知彦らが射撃訓練の際用いたものと同一の拳銃をもつて白鳥課長を殺害したとの趣旨の原判示認定に破たんを来たすはもとより、幌見峠における射撃訓練の事実ないしその際用いた拳銃と白鳥課長殺害の用に供せられた拳銃との同一性等につき供述している原審高安供述等の全体の信憑性にも影響するところが少なくないと認められるのである。そこで、当審事実調の結果をも併せて、所論引用の各証拠の証拠価値について慎重な検討を加えることとする。

(一)  証第三号の三について

証第三号の三は、ソビエト刑事学者ア・ビンベルグ外三名の作成にかかるもので、その内容は、本件で問題になつている三個の弾丸が同一の拳銃から発射されたものと認められるか等についての意見を述べたものである。

1 まず、その新規性について考えるに、数個の弾丸が同一拳銃から発射されたか否かを科学的に確認する方法ということに関して原訴訟手続において提出された証拠は磯部鑑定書および原審磯部供述が唯一のものであるところ、右証第三号の三は右鑑定書および供述と同一内容のものとは認められないから、新規性を有すると認めてよいと思われる。

2 それでは、その明白性はどうか。前述したように明白性の判断は、新証拠と既存の確定判決の基礎となつた全証拠との関連において有罪の確定判決を覆し得るかどうかを問題とすべきであるが、原訴訟の経過および証第三号の三を含めた、本件各弾丸と摘出弾丸の発射拳銃の同一性に関する所論引用の各証拠の性質、内容等からみて、右各証拠は、まず、磯部鑑定書および原審磯部供述と対比しつつ、本件各弾丸と摘出弾丸の科学的観察という点において、それらの発射拳銃が同一であることを認めた原判示認定を覆えし得るかどうかの見地からその証拠価値の検討がなされるべきであろう。この観点から証第三号の三についてその内容をみるに、それは、最終的結論は弾丸を十分比較検証してのみ得られるとの前提のもとに一応の意見(意見というより感想に近い。)を述べたにすぎないから、本件三個の弾丸の科学的観察という点において前記の原判示認定を左右するに足るものとは認められない。

(二)  証第三号の二、同第四号、同第六号、同第七号および当審原供述中それぞれ綫丘痕の幅を問題とする部分について

証第三号の二は、ソビエト刑事学者ア・ビンベルグ外三名の作成にかかるもの、同第四号および同第七号は、チエコ・プラーグ・チヤールズ大学刑事学研究者ヤン・ピエシチヤツクの作成にかかるもの、同第六号は東京大学生産技術研究所助教授原善四郎の作成にかかるもので、これらと当審原供述は、いずれも「二個の弾丸が同一拳銃から発射されたか否かを確認するについては、まず銃身の綫丘によつて弾丸に刻まれる綫丘痕の幅を測定することが重要で、もし両弾丸の綫丘痕の幅に顕著な差が認められるならば、それらは同一拳銃から発射されたものとは認められない。」との内容を有し、なお、証第六号、同第七号および当審原供述は、これに加えて、「本件三個の弾丸の綫丘痕の幅の相互間、特に原審証第二〇七号弾丸と他の二個の弾丸とのそれの間には顕著な差が認められるから、これら三個の弾丸は同一拳銃から発射されたものとは認められないかあるいはそう認めることに疑問がある。」というものである。

1 前述したように、数個の弾丸が同一拳銃から発射されたか否かを科学的に確認する方法ということに関して原訴訟手続において提出された証拠は、磯部鑑定書および原審磯部供述が唯一のものであるが、同鑑定書および供述は、その方法として弾丸が銃身内を通過する際生ずるこまかな条痕を本件三個の弾丸につき比較検討しており、綫丘痕の幅を問題にしているわけではないから、前記証第三号の二等の証拠すべてと鑑定の方法において異なり、また、本件三個の弾丸が同一拳銃から発射されたと認められるか否かの結論的部分も右証第三号の二等と磯部鑑定書および原審磯部供述とでは異なるから、右証第三号の二等は新規性を有するというべきである。

2 そこで、その明白性について検討する。まず磯部鑑定書によれば、本件三個の弾丸の綫丘痕の幅はいずれも〇・七粍となつているが、証第六号および当審原供述によれば、その数値は各綫丘痕相互間および同一綫丘痕にあつてもその測定箇所によつて若干異なるけれども、平均値をとつた場合原審証第二〇六号弾丸は〇・七三粍、同第二〇七号弾丸は〇・七粍、同第二〇八号弾丸は〇・七二粍となることが認められる。所論引用の各証拠中、証第六号、同第七号(同第四号も同趣旨と思われる。)および当審原供述は、この綫丘痕の幅の相違ということを理由に、本件三個の弾丸が同一の拳銃から発射されたことを疑問視し、特に原審証第二〇七号弾丸は他の二個の弾丸とは異なる拳銃から発射された蓋然性が大きいとするのである。しかしながら、

(1) 前述したように、所論引用の各証拠は、明白性に関してはまず磯部鑑定書および原審磯部供述との対比において、その証拠価値の検討がなされるべきであると考えられるところ、まず留意を要するのは、本件三個の弾丸が同一拳銃から発射されたか否かを確認するための方法として、所論引用の証拠が強調する綫丘痕の幅の異同ということと磯部鑑定書がとつた綫丘痕内等に存するこまかな条痕の比較ということとは、矛盾する鑑定方法というよりは、全く別個の観点から鑑定事項についての結論を得ようとするものであり、したがつて所論引用の証拠から直ちに磯部鑑定の鑑定方法に科学的にみて欠陥があるということまでは導き出し得ないということである。すなわち、原判決において、前述のように若干の問題点を指摘されながら前述した限度で証拠価値を認められた磯部鑑定の鑑定方法は、所論引用の証拠によつてもなおその科学性を否定されたものではないといわなければならない。

(2) 次に、複数の弾丸が同一拳銃から発射されたか否かを確認するについて、綫丘痕の幅の測定ということは所論のいうように第一義的に重要な方法といえるであろうか。この点につき、当裁判所としては、次の疑問を持つものである。

イ まず証第六号によつて明らかなように、同一弾丸の(六個あるうちの)一つの綫丘痕であつても、測定する上下の位置によつてその幅にはかなりの差があることに注意しなければならない。この差は最も大きいものでは五〇倍の倍率で〇・二六糎(実際値〇・〇五二粍で、本件三個の弾丸間の綫丘痕の平均値の差のいずれよりも大きい。)に及んでいることからすれば(証第六号における二〇六号弾丸の綫丘痕番号5の数値)、単に測定の際の誤差とは認められない。当審原供述はその原因としていわゆる「ビビリ現象」をあげる。すなわち、弾丸が銃身を通過する際、銃身の綫丘はいわば刃の役割をなして弾丸に綫丘痕を刻むのであるが、この刃に当る綫丘は、ある場合には、それに銃身を通過する弾丸の金属粉末が付着することによつて広くなり、ある場合には、銃身通過の際の圧力により、それに付着した金属粉末とともに綫丘自体も一部欠落することにより狭くなるという、いわゆる「ビビリ現象」によつて常に一定の幅を持つとは限らず、このため、同一の綫丘によつて生ずる綫丘痕であつても測定の位置によつて測定値にずれを生ずるとする。しかし、「ビビリ現象」がかようなものとすれば、それは拳銃の特定の綫丘によつて生ずる一個の弾丸の綫丘痕だけについて考えられるものでなく、これと、同一綫丘によつて生ずる他の弾丸の綫丘痕との間についても考え得るといわねばならない。すなわち、二個の弾丸の綫丘痕の幅は、それがある拳銃の同一の綫丘によつて生じたものであつても、いわゆる「ビビリ現象」によつて必ずしも一致しないといい得ると考えられるのである。この「ビビリ現象」は理論上は発射弾丸の六個の綫丘痕のすべてについて考えられてよいと思われ、したがつて、同一拳銃による発射弾丸の全綫丘痕の幅の平均値に差があつても、それはあり得ることといわなければならない。その差が本件各弾丸相互間にみられる程度に及ぶものであるかどうかは別としても、このことは、綫丘痕の幅の測定ということが、複数の弾丸が同一の拳銃から発射されたか否かを確定するについて第一義的に重要な方法であるとすることに疑問を投げかけるものというべきである。

ロ 欠に、磯部鑑定書によれば、本件各弾丸の弾径の大きさは、原審証第二〇六号弾丸約七・八四粍、同第二〇七号弾丸約七・八〇粍、同第二〇八号弾丸七・八二粍と認められる。この数値と前述した証第六号にある本件各弾丸の綫丘痕の幅の数値を比較すると、弾径の大きい弾丸ほど綫丘痕の幅も長くなつていることが明らかである。このことから、本件各弾丸は同一拳銃から発射されたものではあるけれども、弾径の長短によつて綫丘痕の幅に差を来したと考える余地はないか。当審磯部供述は、これを肯定し、その理由として、銃身は発射時高圧力で弾丸が入り込むことによつて膨張するが、その際弾径の大きい弾丸ほど圧力が大きく、それに伴ない銃身の膨張も大きく、綫丘も膨張して多少広くなるため右の膨張した綫丘が刻む綫丘痕の幅も弾径が小さい弾丸に比較して大きくなるということをあげ、このことから、本件三個の弾丸の綫丘痕にみられる程度の幅の相違があつたとしてもそれらが異なつた拳銃から発射されたとはいえないとする。右供述に科学的な信頼性をおき難いとする理由は見出し得ない。そして、このことも、綫丘痕の幅の測定ということが複数の弾丸が同一の拳銃から発射されたか否かを確定するについて第一義的に重要な方法であるとすることに疑問を抱かせるものであることを否定し得ない。のみならず、このことは、単に鑑定の方法に疑問を抱かせるにとどまらず、本件三個の弾丸の綫丘痕の幅相互間に証第六号および当審原供述が問題にしているような差異があるとしても、それは、右各弾丸が同一拳銃から発射されたものでありながら、その弾径の長短によつて生じたという可能性を推測させるものといわなければならない。

以上みたところによれば、証第三号の二等所論引用の証拠は、磯部鑑定書および原審磯部供述の鑑定方法の欠陥を指摘しその科学性を否定し去るものではないのみならず、その述べる鑑定方法を第一義的に重要なものであるとすることには疑問があるといわなければならない。また、それらのうち証第六号等が問題とする、本件三個の弾丸の綫丘痕の幅相互間にみられる差は、右各弾丸が同一拳銃から発射されたとすることに決定的な支障となるものとは認められない。すなわち、所論引用の各証拠は、本件三個の弾丸の科学的観察という点において、それらが同一拳銃から発射されたものであるとする前記原判示認定を左右するには足らないといわなければならない。

(三)  証第三号の二、同第六号、同第二八号および当審原供述中それぞれ綫丘痕の角度を問題とする部分について

証第三号の二は、ソビエト刑事学者ア・ビンベルグ外三名の作成にかかるもので、その内容は、「二個の弾丸が同一拳銃から発射されたか否かを確認するについては、まず、銃身の綫丘によつて弾丸に刻まれる綫丘痕の角度を測定することが重要で、もし両弾丸の綫丘痕の角度に顕著な差が認められるならば、それらは同一拳銃から発射されたものとは認められない。」というものであり、また同第六号は、東京大学生産技術研究所助教授原善四郎の作成にかかるもので、これと当審原供述は、証第三号の二と同趣旨のことを述べるほか、「本件各弾丸相互間、特に原審証第二〇七号弾丸と他の二個の弾丸との間には綫丘痕の角度につき顕著な差が認められるから、これら三個の弾丸が同一拳銃から発射されたものとは認められないかあるいはそう認めることに疑問がある。」という内容を有する。また、証第二八号は前記原善四郎の作成にかかるもので、その内容は「同一拳銃から発射された一二個の弾丸の綫丘痕角度を測定した結果、各弾丸の綫丘痕角度の平均値は五度五一分から六度二分に分布し総平均値は五度五六・六分、標準偏差は三・六分であつた。」というものである。

1 右各証拠は、(二)の1に述べたのとほぼ同一の理由により新規性を有するものと認められる。

2 そこでその明白性について検討する。磯部鑑定書によれば、本件三個の弾丸の綫丘痕の傾角はいずれも五度半とされているが、証第六号および当審原供述によれば、各綫丘痕につき二ないし三箇所を測定して全綫丘痕の平均値を出した場合、原審証第二〇六号弾丸は五度五七・七分、同第二〇七号弾丸は五度三四分、同第二〇八号弾丸は五度五七・四分であつたことが認められる。当審原供述は、証第二八号に記載されている測定の結果によれば、前述のように、同一拳銃から発射された一二個の弾丸の綫丘痕角度の総平均値に対する標準偏差は三・六分であつたのであり、その約三倍の一〇分、せいぜい一二分が同一拳銃から発射された各弾丸の綫丘痕角度の差の限界と認められるところ、原審証二〇七号弾丸の綫丘痕角度と他の二個の弾丸のそれとの差は右の限界値を超えており、したがつて両者は同一拳銃から発射されたものとは認められないとする。しかしながら、

(1) 前述したように、右各証拠もまず磯部鑑定書および原審磯部供述との対比においてその信憑性の検討がなされなければならないと解されるところ、右各証拠が強調する綫丘痕の角度の異同ということは、(二)でみた所論引用の証拠が問題とした綫丘痕の幅の異同ということと同じく、磯部鑑定とは全く別個の観点から複数の弾丸が同一拳銃から発射されたか否かについての結論を得ようとするものであり、したがつて、右各証拠は磯部鑑定の鑑定方法の欠陥を指摘しその科学性を否定し去るものではないといわなければならない。

(2) 次に複数の弾丸が同一拳銃から発射されてか否かを確認するについて、各弾丸の綫丘痕の角度の測定ということを第一義的に重要な方法とすることには、方法論として、次のような疑問があるといわなければならない。

イ まず、証第六号によれば、同一綫丘痕についても測定位置によつて角度には相当の差があり最も大きなものは一度一〇分に達していたこと(原審証第二〇七号弾丸の綫丘痕番号4)が明らかであるところ、その原因について、当審原供述は、綫丘痕の幅について述べたいわゆる「ビビリ現象」をこの場合においても考え得るとしている。すなわち、同鑑定人は、弾丸が銃身内を通過する際銃身内の突起によつて生ずる綫丘痕内の条痕の角度を測定し、それを本件各弾丸の綫丘痕の角度としたことが当審原供述により明らかであるが、同供述は、右の銃身内の突起はいわゆる「ビビリ現象」における刃物の役割をなし、したがつて常に一定の幅を有するものでないとともに、その方向も、金属片の附着あるいは右突起自体の欠落によつて一定せず、このため条痕の測定位置によつてその角度が多少異なると説明している。しかし、そうとするならば、この「ビビリ現象」による綫丘痕の角度の相違は、綫丘痕の幅について述べたように、一個の弾丸の条痕についてのみ考えられるものでなく、同一拳銃から発射された複数の弾丸の各条痕についても考え得るといわなければならない。すなわち、二個の弾丸の綫丘痕角度は、それが同一拳銃から発射されたものであつても、いわゆる「ビビリ現象」を念頭におくならば必ずしも一致しないと考えられるのである。そして、この不一致は、各発射弾丸の六個の綫丘痕のすべてについて考えてよいと思われ、したがつて同一拳銃による複数の発射弾丸の全綫丘痕についての平均値に差があつてもそれは有り得ないことではないといわなければならない。そして、このことは、綫丘痕の角度の測定ということが数個の弾丸が同一拳銃から発射されたか否かを確定するについての第一義的に重要な方法であることに疑問を抱かせるものといわなければならない。

ロ 次に、証第六号における本件三個の弾丸の綫丘痕角度の平均値の順位は前述した右各弾丸の弾径の大きさの順位と一致していることが明らかであるところ、当審磯部供述は、「銃腔の軸に対して弾軸が傾いて銃腔内を通過する場合は、傾きの角が絶えず一定しているわけではなく、むしろ傾きの角がたえず変つていくような運動をするものと考えられ、特に弾径の小さい弾丸についてはその傾きが多少大きくしかも傾きの大きさが変わるということを考えてよく、これによつて同一拳銃から発射された弾丸であつても、弾径の差によつて綫丘痕角度の平均値は常に一定とは限らないと考えられる。」としており、右供述に科学的な信頼性をおき難いとする理由は見出し難い。そして、このことも、綫丘痕の角度の測定を複数の弾丸が同一拳銃から発射されたか否かを確定するについての第一義的に重要な方法であるとすることに疑問を投げかけるものというべきである。

(3) さらに、所論引用の各証拠が強調するように、複数の弾丸が同一拳銃から発射されたか否かを確認する方法として各弾丸の綫丘痕の角度の測定ということを重視するとしても、このことから、本件各弾丸が異なつた拳銃から発射された蓋然性が大きいとすることには、次のような疑問が存する。

イ まず証第六号に記載されている本件各弾丸の綫丘痕の平均値の正確性ということである。すなわち、前述したとおり証第六号によれば、同一綫丘痕であつても、測定位置によつてその角度には相当な差があり、最も大きなものは一度一〇分に達していたこと(証第二〇七号弾丸の綫丘痕番号4)が明らかである。そして、この結果からすれば、綫丘痕の角度の平均値を各綫丘痕さらには各弾丸について出すためには各綫丘痕につき相当多くの位置について測定を重ねることが必要ではないかと思われるのである。しかるに、証第六号においては各弾丸の各綫丘痕につき二ないし三回の測定しかなしておらず、このことからすれば証第六号にある本件三個の各弾丸の綫丘痕角度の平均値を絶対的なものとすることには疑問なしとしない。同じ疑問は証第二八号についても持たれるのであつて、同号においては、同一拳銃から発射された弾丸の各綫丘痕の角度につきそれぞれ三回の測定をなした結果から総平均値および標準偏差を出しているのであるが、三回という各綫丘痕の角度の測定回数をもつて右の総平均値等を絶対的なものとすることには、やはり問題があると思われるのである。さらに、証第二八号の測定は、一二個の弾丸につき、弾径等については考慮を払うことなく行なわれていることが明らかであるが、(2)ロで述べた点をも考慮すれば、このような実験方法においてはさらに多くの弾丸につき弾径等との関係をも考慮しつつ測定を重ねる必要があるのではないかとの疑問を禁じ得ず、このことも証第二八号に記載された総平均値等を絶対視することを躊躇させるものである。

ロ 次に当審原供述が、同一拳銃から発射された各弾丸間の綫丘痕角度の差の限界は一〇分ないし一二分であるとしていることは前述したとおりであるけれども、一方、右供述は同一拳銃から発射されながら各弾丸の綫丘痕角度の差が右の一〇分という数値をはみ出す場合が二・五%あるとしている。すなわち、当審原供述によつても、同一拳銃から発射された各弾丸の綫丘痕の角度の平均値が証第六号に記載されている程度の差を示すことはあり得ないことではないと認められるのである。

ハ さらに、(2)ロで述べたところによれば、本件三個の弾丸は同一拳銃から発射されたものでありながら、その弾径の長短によつて綫丘痕の角度に差を生じたと考える可能性もあるといわなければならない。

以上みたところによれば、証第三号の二等所論引用の証拠は、磯部鑑定書および原審磯部供述の鑑定方法の欠陥を指摘しその科学性を否定し去るものでないのみならず、その述べる鑑定方法を第一義的に重要なものとすることには疑問が残るといわなければならない。またこの鑑定方法に従うとしても、証第六号等が問題とする本件三個の弾丸の綫丘痕角度の測定値の差は右各弾丸が同一の拳銃から発射されたとすることに決定的な支障となるものとは認められない。すなわち、所論引用の各証拠は、本件三個の弾丸の科学的観察という点において、それらが同一拳銃から発射されたものであるとする前記原判示認定を覆えし得ないといわなければならない。

(四)  証第三号の二、同第四号、同第七号、当審原供述および当裁判所の照会に対する昭和四三年六月一七日付科学警察研究所長作成の回答書添付の鑑定書三通中、本件三個の弾丸表面の条痕を問題とする部分について

証第三号の二は、ソビエト刑事学者ア・ビンベルグ外三名の作成にかかるもので、二個の弾丸が同一拳銃から発射されたか否かを確認するについては(綫丘痕の幅と傾斜角が一致することが確認された後)、各弾丸につき銃身腔壁の痕跡を確定しかつそれを相互比較することが必要であるとの内容を含む。証第四号および同第七号はいずれもプラーグ・チャールス大学法学部ヤン・ピエシチヤツクの作成にかかるもので、証第四号は右証第三号の二とほぼ同一内容であり、また証第七号は磯部鑑定書添付の写真により、本件三個の弾丸の表面の条痕を検討した結果では本件三個の弾丸が同一の拳銃から発射されたことは確認できず、特に原審証第二〇七号弾丸と同第二〇六号弾丸および同第二〇八号弾丸は同一の拳銃から発射されたことはあり得ないとの内容を含む。当審原供述も右証第七号とおおむね同旨である。さらに当裁判所の照会に対する昭和四三年六月一七日付科学警察研究所長作成の回答書添付の鑑定書写三通(このうち、直接関係あるものは、警察庁技官高塚泰光作成の昭和二八年九月四日付および同二九年七月三〇日付鑑定書1以下、この両鑑定書を「高塚鑑定書」という。1で、その原本は検察官から提出され、札幌高等裁判所昭和四二年押第七三号の九一および九二として領置)は、原審証第二〇七号弾丸と同第二〇六号弾丸の条痕に非常に類似する特徴を発見したが両者が同一銃器から発射されたものと断定することはできない、また原審証第二〇六号弾丸および同第二〇七号弾丸と同第二〇八号弾丸とが同一銃器によつて発射されたと認定するに足る程度の類似条痕を右各弾丸に発見し得ないという内容のものである。

1 まず、その新規性について考えるに、証第三号の二および同第四号が指摘している、二個の弾丸が同一拳銃から発射されたか否かを確認する方法としての、銃身腔壁によつて生ずる弾丸表面の条痕の比較ということは、まさに原審において磯部鑑定書がとつているところであるから、原裁判所に了知ずみのものと認められ、したがつて、証第三号の二および同第四号は新規性を有するものとは認め難い。なお、証第三号の二および同第四号は、弾丸表面の個々の条痕のみならず、弾丸表面全体の対比検討の必要性を説くようにもみえ、この点は、類似条痕のみを選んで観察を下し弾丸表面の非類似条痕の有無およびその相異性について注意を払わなかった磯部鑑定書および原審磯部供述には見受けられないところであるが、一方、原第一審第七四回公判期日における証人宮原将平の供述には、弾丸表面全体の対比検討の必要性ということが現われているうえに、原判決が、「磯部鑑定書が本件三弾丸の観察に際し相互に類似するせん条痕のみを選んで観察を下し類似しないせん条痕の有無およびその相異性については深い注意が払われなかつたこと………を認めることができるが、しかし、同鑑定人のとつた鑑定の方法によつても、三弾丸のせん条痕相互間にきわめて類似する一致点が発見された等の鑑定結果を結論づけることが可能である。」旨判示し、原上告審判決もこれを是認していることからすれば、この点を問題にしても証第三号の二および同第四号は新規性を(と同時に明白性をも)有するとはいえないといわなければならない。

次に、証第七号、高塚鑑定書および当審原供述は、本件三個の弾丸の発射拳銃の異同を論ずるに当つて各弾丸の表面の条痕を問題としている点において磯部鑑定書および原審磯部供述と方法を同じくするが、これと結論を異にするので、新規性を有するものというべきである。

2 そこで、以下に、磯部鑑定書および原審磯部供述との対比において右各証拠の明白性について検討を加えることとする。

ところで、当審磯部供述によれば、磯部鑑定書添付の写真は、同鑑定人が自ら撮影したものでなく、神奈川県相模原市所在のアメリカ軍極東犯罪調査研究所のゴードン曹長に預け、同曹長が撮影したものであること、右写真は、本件三個の弾丸相互間において類似している条痕を比較顕微鏡で上下に合わせた状態を撮影したものであるが、右の類似している条痕の選択もゴードン曹長が行なつたこと、磯部鑑定人は写真撮影の場にも居合わせず、後にゴードン曹長から本件各弾丸とともに現像写真一組とそのネガフイルムを渡されたものであることがそれぞれ認められる。一方、当審原供述によれば、磯部鑑定書添付写真において類似されているとして上下に合わされている二本の条痕は、弾底又はくびれからみて必ずしも同一の位置のものを比較しているわけではなく、両者が相当異なる位置にあるというようなものもあることが認められる(なお、この点に関連して、原判決は、「磯部鑑定書および原審磯部供述によれば、同鑑定書における類似する条痕の比較対照は主としてその条痕の幅と長さに基づいてなされた。」と認定しているけれども、原審および当審磯部供述によれば、右の類似する条痕の比較対照は主としてその幅と位置―特に綫丘痕側端からの長さ―に基づいてなされたものであつて、条痕の長さは特に考慮していないことが明らかである。)。そして、これらの点は磯部鑑定書の信頼性に疑惑を投げかける要因となるものであることは否定し難い。しかし、他方、当審磯部供述によれば、右のゴードン曹長が撮影した写真に基づく類似条痕の有無等の観察判定は磯部鑑定人がゴードン曹長等の意見を求めることなく自ら行ないその結果を磯部鑑定書に記載したことが認められるから、同鑑定書はその限りにおいてなお鑑定たるの実を有するものというべく、前記の諸点があるからといつてそのことからただちにこれを一片の証拠価値もないものとして排斥することは相当でない。なお、前認定のように磯部鑑定人が本件三個の弾丸をゴードン曹長に預け、それらは同鑑定人が現像写真およびフイルムとともに返還を受けるまで同曹長の手中にあつたところから、弁護人は、本件事実の取調の過程において、ゴードン曹長に渡された弾丸と磯部鑑定書添付の写真に撮影された弾丸の同一性について疑惑の念を表明した。そこで、この点につき一言すると、昭和二八年九月四日付高塚鑑定書添付の写真および札幌高等裁判所昭和四二年押第七三号の九三科学捜査研究所長作成の「弾丸比較顕微鏡写真送付について」と題する書面添付の各写真に撮影されている弾丸は、本件三個の弾丸が磯部鑑定人に渡される以前にこれを撮影したものであることが明らかであるから、これと磯部鑑定書添付の写真に撮影されている弾丸に同一特徴を発見し得るならば、前記の弾丸の同一性に関する疑惑は解消するものというべきである。しかるところ、

(1) 磯部鑑定書添付の写真(以下、「磯部写真」という。)中、その六の(Ⅰ)および(Ⅱ)ないしこれの各拡大写真である札幌高等裁判所昭和四二年押第七三号の四二、四三、六二および六三の各写真の一号弾丸(原審証第二〇六号弾丸を指す。)のくびれの下の写真と、前記「弾丸比較顕微鏡写真送付について」と題する書面添付の写真(以下、「科捜研写真」という。)中、その一、その二およびその三の各一号弾丸の写真を比較対照すると、綫丘痕両側端に接する白く見える起伏(いわゆる「バリ」)の形状がきわめて類似している等の共通の特徴点が存すること

(2) 磯部写真中その四の(Ⅲ)の二号弾丸(原審証第二〇七号弾丸を指す。)の写真と昭和二八年九月四日付高塚鑑定書添付の写真中その二の「本件弾丸」の写真を比較対照すると、綫丘痕左側端に接する「バリ」の形状が一致しており、かつ綫丘痕内にこれと一五度ないし二〇度の角度をなす白く見える傷が認められ、かつ綫丘痕の左側方に綫丘痕と約七度の角度をなす白く見える長い線が認められる等の共通の特徴点が存すること

(3) 磯部写真中その四の(Ⅱ)の三号弾丸(原審証第二〇八号弾丸を指す。)の写真と科捜研写真中その六の三号弾丸の写真とを比較対照すると、それぞれ綫丘痕左側端に近い位置に平行しかつその左の一本が途中から消えている白い線三本があり、かつ白い線が消えた地点から右下方のほぼ同じ位置に同一形状の「バリ」が存する等の共通の特徴点が存すること

が明らかであり、これに加えて、当審磯部供述が、ゴードン曹長に渡す前後とも三個の弾丸を観察したが、その前後によつて弾丸がすり代えられたことを疑わせるような点は全く見出し得なかつたと供述していることをも考慮すれば、磯部鑑定人およびゴードン曹長に渡された各弾丸と磯部鑑定書添付の写真に撮影されている各弾丸とは同一のものであると認定するのが相当である。

そこで進んで、証第七号、高塚鑑定書および当審原供述の信憑性を磯部鑑定書および原審磯部供述と対比しつつ検討する。

まず、磯部鑑定書において、添付写真その一の(Ⅰ)(Ⅱ)(Ⅲ)における11′1″の条痕はもつとも顕著な特徴で一致し、他の条痕の位置の基準とされているところ、証第七号および当審原供述は右各条痕の類似性を争い、むしろ両者は相違するとする。もし、右11′1″の条痕の類似性が崩れるとするならば、右条痕からの距離を基準として本件三個の弾丸の対応する綫丘痕および対応する他の条痕を定めている磯部鑑定書はその信憑性を大きくゆさぶられることとなろう。そこで、右11′1″の条痕の類似性については、以下に特に詳細に考察することとする。

(1) 11′について。証第七号および当審原供述はいずれも11′は綫丘痕の左側端からの距離が異なるとしており、特に当審原供述は綫丘痕の左側端の見分け方を説明したうえ、1は左側端からやや右に寄つたところにあるのに対し1′は左側端そのものにあるとする。これに対し、当審磯部供述は、当初、11′はいずれも綫丘痕の左側端からやや右寄りの、綫丘痕左側端から等距離に位置する溝であるとしたが、後にこれを訂正し、1′については、当審原供述と同じく条痕の左側端が即綫丘痕の左側端であるとし、1については、条痕の左側端が即綫丘痕の左側端であるとする見方と当審原供述のような見方の二つが可能であるが、前者の方が正しいと思うとしている。右各供述によれば、1′はその左側端が即綫丘痕の左側端であると認定するのが相当であり、また1については、当裁判所としては当審磯部供述と同じく、条痕の左側端が即綫丘痕の左側端であるとすることが可能で、いちがいに当審原供述のようにはいい得ないものと認める。当審原供述の述べる綫丘痕左側端の判定方法によつても、原審証第二〇六号弾丸の綫丘痕左側端は、必ずしも原鑑定人が当審昭和四二年押第七三号の二八にル点として表示した点から上にのびる線と断定することはできず、1の条痕の左側端と解する余地もあると認められるのである。そして、1の条痕の左側端が綫丘痕左側端と一致するとするならば、11′はいずれも綫丘痕左側端に位置することになり、前述した証第七号および当審原供述の批判は当らないことになる。そして、右の位置関係ということを別にすれば、11′はいずれも右側が黒く左側が明るくみえるという同一の形状を有する相当の深さを持つた溝であることは否定できないところといわなければならない。当審原供述は、1の溝は1′の溝よりは太いとし、そのようにみえないわけではないが、両者の太さの差はそれほど顕著なものとは思われないし、また両者が銃腔内の同一の突起によつて生じたとしても、前述のように弾径の大きい原審証第二〇六号弾丸の1の方がそれが小さい同第二〇七号弾丸の1′よりも幅が広くなると認める余地があることをも考えると、この点は11′の類似性に影響を及ぼすものとは認められない。

右の次第で、11′の条痕の類似性を否定することはできないと思われる。

(2) 11″について。当審原供述は、1″は条痕の左側が即綫丘痕の左側端と一致すると述べており、そうすると前述したように1も綫丘痕の左側端の位置に存する可能性を否定し得ない以上、両者の綫丘痕左側端からの距離が異なると断定することはできない。なお、当審原供述は1″は1に比べ細くてくねくねしているとする。たしかに、11″からはそのような印象も受けるが、それにもかかわらず、11″の黒く見える部分をその左右部分をも併せて対比すると、両者の類似性は否定し得ないと認められる。

(3) 1′1″について。(1)(2)で述べたところにより、1′1″はともに綫丘痕左側端に位置する可能性がある以上、両者の綫丘痕左側端からの距離が異なると断定することはできない。したがつて、この点に関する証第七号の批判は当らない。また1′1″の溝状の類似性を否定することはできないと認められる。

以上みたとおりであつて、いわば基本条痕ともいうべき11′1″相互間の類似性を否定することはできないといわなければならない。そこで進んで、磯部鑑定書に現われている他の条痕の類似性につき当審原供述および証第七号の意見をも参考としつつ考察するに、右条痕中には、磯部鑑定人自身似ているとはいえないと供述するにいたつたものも含め、その類似性が疑わしいと認められるものも少なからず存在するといわなければならない。しかし、他方、証第七号および当審原供述が類似性を認めたものを含め明確に類似性を認め得るものも相当存在するし(例えば、5と5′、5′と5″、7と7′、7と7″、7′と7″、8と8″、9と9″等)またそこまではいえないとしても、類似性を否定できないと認められるものもかなり存在するといわなければならない。(例えば、2と2″、2′と2″、3と3′、3と3″、3′と3″、6と6′、6と6″、8と8′、10と10″、13と13″、14と14″等)。なお、ここで高塚鑑定書について考察するに、同鑑定書の内容はさきにその大要を掲記したとおり、結論として、本件三個の弾丸が同一銃器から発射されたと認定するに足る程度の類似条痕を発見し得ないというものである。しかし、ここで注意すべきは、同鑑定書は類似条痕の存在を全く否定するとか、あるいは本件各弾丸が異なる銃器から発射されたことを認定するに足る条痕等の存在につき言及するとかしているわけではないことである。このことは、昭和二八年九月四日付鑑定書では、原審証第二〇七号弾丸と同第二〇六号弾丸の条痕に非常に類似する特徴を発見したとの記載があることからも言い得るし、また高塚鑑定人が所属する科学捜査研究所物理課において撮影した本件三個の弾丸の綫丘痕の対照写真において三個の弾丸相互間に類似条痕の存在することが示されていることからも窺えるところである。したがつて、高塚鑑定書は、磯部鑑定書に現われている条痕の類似性に関する右の認定に影響を及ぼすものではないといわなければならない。

以上を要するに、磯部鑑定書および原審磯部供述は、鑑定書作成の過程においてゴードン曹長なる余人が介在した等の事実および鑑定書中で相互に類似するとされていた本件各弾丸の条痕中に類似性が疑わしいものが現われたこと等によつて、その信頼性が低下したことは否めないけれども、右条痕中に明確に類似性を認め得るものあるいは類似性を否定できないものが存在する事実を認定できるという限度でなお証拠価値を有するものと認められ、所論引用の証拠によつても、右条痕の点で、本件三個の弾丸が同一拳銃から発射されたことが疑わしいとかあるいは進んで、右三個の弾丸が異なるピストルから発射されたとまでいうことはできないというべきである。

以上、本件三個の弾丸の発射拳銃の同一性に関する所論引用の証拠中の当審原供述等、ならびに当審磯部供述によつて、原判示認定の基礎となつた磯部鑑定書および原審磯部供述の信頼性が低下したことは否めないけれども、その信頼性を全く否定し去ることはできず、それは前に見た限度でなお証拠価値を有するものと認められるとともに、右各証拠によつて本件三個の弾丸の科学的観察という点において、それらの発射拳銃が同一であるとの原判示認定を覆えすことはできないといわなければならない。

そしてまた、本件白鳥課長殺害計画の一環として高安知彦らが昭和二七年一月上旬頃札幌市郊外幌見峠滝の沢山林中で拳銃の射撃訓練を行なつたことおよびその際使用した拳銃と白鳥課長殺害の用に供した拳銃とが同一であるとの原判示認定に関しては、磯部鑑定書および原審磯部供述以外にも前述した原審高安供述等多くの証拠が存在するのである。もとより、磯部鑑定書および原審磯部供述はそのなかでも重要なものであるけれども、所論引用の証拠によつてその証拠価値が全く否定され、あるいは本件各弾丸が同一拳銃から発射されたことが疑わしいという事実が明らかにされたのならば格別、前述したように、磯部鑑定書および原審磯部供述がなお前述した限度で証拠価値を有する以上、その証拠価値が低下した事実があつたとしても、それによつて、他の証拠の証拠価値が決定的に影響されるとは到底認められない。すなわち、右各証拠は単に数的に多いのみならず、内容的にも相互に相補強し合い、(なお、前記原判示認定事実中、前段の幌見峠における射撃訓練の点については二の末尾の明白性に関する説示、また後段の、右射撃訓練の際用いた拳銃と白鳥課長殺害の用に供した拳銃との同一性については原第一審判決書五八頁五行目の、「なお」以下の説示をもそれぞれ参照。)、磯部鑑定書等の証拠価値の低下を念頭におきつつ考察しても前記原判示認定を支えるに足ると認められる。

以上の次第で、本件三個の弾丸の発射拳銃の同一性に関する所論引用の証拠は、原判示の白鳥課長殺害準備行為の一環としての幌見峠における拳銃発射訓練の事実およびその際用いられた拳銃と白鳥課長殺害の用に供された拳銃とが同一である事実、さらに、ひいては白鳥課長殺害の事実につき明白性を有しないといわなければならない。

四  一月四日の謀議の不存在に関する所論について

所論は、原判決が、本件白鳥課長殺害についての共謀に請求人が参画した事実として、「昭和二七年一月四日門脇甫方又は同市南四条西一六丁目寺田トシ方の村手宏光の部屋において請求人が高安知彦らに対し白鳥課長に対する攻撃は拳銃をもつてやる旨告げ、そのため直ちにその動静を注意するよう指示し、なお右の調査中においても機会があれば決行する旨を告げ、高安知彦らもこれを了承した。」旨認定していることを非難し、その証拠として証第八号(証人高安知彦に対する尋問調書)を引用する。

ところで、所論は、右証第八号中の「村上委員長が殺すという意味のことをいつていたのを記憶しているのですが、どのような表現の仕方でいつていたのかは現在はつきり記憶していません。」との供述記載をもつて、もし真に殺人という重大事についての謀議があつたとするならば、その具体的内容を忘れてしまうということは絶対にあり得ないと主張するのである。しかし、所論引用の供述記載は、「村上委員長から、『白鳥課長に対してすぐ行動を始めろ。行動は特に調査に重点をおいて慎重にやり機会があつたならば何時でもやれ。』という趣旨の指示があり、その時に拳銃を使つてやるのだということを村上委員長が殺すという意味のことを言つたと記憶しているのですが」との部分にひきつづきなされているところ、原審で取調済の高安知彦の検察官に対する昭和二八年八月一五日付第二回供述調書には、当日の模様として、「別にたいしたシヨツクはなかつたが、どういう風だつたかなあ。政治的意義について時間をかけて討議した記憶もないし、とにかくいわれたことは、村上委員長から、白鳥課長はピストルでやる。調査を慎重にやらなければならない、そのために白鳥の出勤と退庁の時刻とかその間利用する乗物とか経路そういうものと一人であるいているかそういうことを調査しなければならないといわれたことは確かである。」との供述記載が存し、これによれば、高安は、原審がその存在を確知した証拠中においてすでに謀議の内容等について証第八号に記載されている程度の記憶しか保持していないとの趣旨の供述をなしていることが明らかであり、これと所論の引用する証第八号がその趣旨、内容において異なる供述とは解し難い。さらに、原審高安供述、特に原第一審第三八回公判期日における「村上委員長から白鳥課長に対する攻撃というものは拳銃を持つてやるんだというような話が出て、特に相手が警察官であるだけに慎重に計画して、まず白鳥課長の行動というようなものを、出勤退庁の時間とか乗物だとか調査して慎重に計画を立てて、そしてチヤンスをねらうと、そういうような指示があつたのです。」との供述も右高安の検察官調書さらには証第八号と同趣旨のものと解されるのである。そうとすると、右証第八号は新規性ある証拠とはいえないというべきである。のみならず、その明白性について考えるに、前記高安の検察官供述調書には、ひきつづき「当時私達の気持としても、こうしたこと(白鳥課長の殺害を指す。)をやることは当然というような気持を持つていましたし、このことの計画は千歳から帰つてきてからは既定の事実ともなつていましたので、指示が与えられていても特別にシヨツクを受けたわけではなく『直ちにやれ』と言われ『それでは始めるか』というような軽い気持でいた記憶があります。」との記載があり(なお、高安は原第一審第三八回公判期日における供述および検察官に対する昭和二八年八月一三日付第二〇回供述調書においても、当時白鳥課長に対する攻撃は既定の事実であつたとの趣旨の供述をしており、また村手宏光も検察官に対する昭和二八年一〇月二五日付第二一回供述調書において、一月四、五、六日頃の会合では、既に決つていた白鳥課長殺害の方針が確認された旨供述している。)、右高安が述べるような経緯があつたとすれば、ことが殺人という重大事に関するものであつても、所論のようにこれに参画した者がその具体的内容を忘れてしまうということが絶対にあり得ないとまではいうことができないといわねばならない。さらに、右謀議の存在については、原訴訟手続においても請求人(被告人)およびその弁護人が極力これを争つたのに対し、原判決はこの点についての多岐にわたる積極消極の各証拠を比較検討しつつ、多少の疑念をとどめつつも、一月四日に問題の謀議が行なわれたとの事実を認定し、原上告審判決もこれを是認しているところからすれば、前記の内容を有するにとどまる証第八号一つがさらに加わつたとしても、そのために原裁判所の前記判断が左右されるにいたり、一月四日の謀議の存在が否定されるであろうとは到底認め難い。

なお、一月四日の謀議の不存在に関するその他の所論は、すでに原訴訟手続において請求人およびその弁護人が問題としたことを、いままた改めて取り上げ原判決の証拠判断を非難するにすぎず、新規性および明白性を有する証拠の発見を主張するものとは解し難い。

五  実行行為に関する所論について

所論は、種々の論拠をあげ、原判示本件白鳥課長殺害の実行行為の経過、態様等に誤りがあることは明白であると主張する。そこで、以下に所論の各論点に即して判断を加えることとする。

(一)  犯人の発射弾は一発であるとの点について

所論は、原判決が本件の実行行為者佐藤博は白鳥警部に対し連続二発弾丸を発射しその一弾が命中して同警部が死亡したと認定していることを非難し、犯人の発射弾は一発であると主張し、その証拠として、証第九号(ハツチヤー他著「銃器鑑識」)同第一〇号(滝山健三の供述録取書)、同第一一号(高橋アキノの供述録取書)、同第一二号(高橋豊三郎の供述録取書)を引用する。

1 まず、その新規性について考えるに、証第一〇号および同第一一号は、原審において取り調べられている滝山健三および高橋アキノらの各検察官に対する供述調書と、供述者は同一であるけれども異なる内容を有するから、新規性の要件をみたすものであり、また、証第一二号は、高橋豊三郎の供述書等は原審において取り調べられていないから、同様にこの要件を備えるものというべきである。しかし、証第九号は射撃音に関する一般的な法則あるいは実例を叙述するにとどまり、射撃音に関する証拠判断に関し留意すべき事項を指示する限りにおいて、一般的に意義があり興味も深いが、具体的な本件の証拠判断においては直接参考となるものではなく、これを新規性ある明白な証拠とはなし難い。

2 そこで、証第一〇号ないし第一二号が明白性の要件を備えるか否かについて考える。本件発射弾丸が一発ということになれば、原判決において白鳥課長殺害の実行行為者とされている佐藤博からこれが二発であるときいた旨の内容を有し、かつ請求人の有罪認定の有力な資料となつた原審追平供述、その他の証拠の信憑性にも影響するところがないとはいえないであろう。ところで、本件発射弾丸が一発か二発かということは原審においても重要な争点となつていた点であり、かつ原記録によれば、二発説をとるについては、犯行当時現場附近にあつて銃声を聞いた人々のなかには一発の銃声のみを聞いた旨述べていた者もいたこと、犯行現場附近は犯行直後丹念に検証、捜索が行なわれたが、その附近の路上で撃ちがら薬きよう一個を発見することができたのみで他は発見できなかつたこと、命中弾は白鳥課長の背後一メートルないし三メートルの至近距離から発射されたものと推定され命中率は高いと思われるのに同課長の負傷箇所は一箇所であつたこと等の疑念を抱かせる点のあつたことが窺える。しかし、原判決はこのような疑念の存することを認めつつも、当時現場附近にあつて二発の銃声を聞いたとする坂本勝広らの供述をとつて、犯人は連続二発発射したものと認定しているのである。そして、右坂本勝広らの供述は、供述者の数の上で銃声は一発であつたとする者よりはるかに多いのみならず(なお、原判決は、松沢広信をも一発の銃声を聞いた者のなかに含めているけれども、同人の検察官に対する供述調書によれば、同人は二発の音を聞いたと述べていることが明らかである。)、そのなかには、相当具体的な根拠を示して二発の発射音を聞いたと断定しているものもあるのである(たとえば、坂本勝広―昭和三七年一月二五日付―、三輪崎サダ、松沢広信の検察官に対する各供述調書)。それにもかかわらず、前記滝山健三らの供述録取書は、右の坂本勝広らの供述の信憑性を覆えすに足りるか。

まず、滝山健三の供述録取書をみよう。同人は、前記検察官調書中では二発の銃声を聞いたと述べていたにもかかわらず、右供述録取書においては、聞いた銃声は一発であつたが、警察官に他の者は二発だと言つていると執拗に迫られ面倒臭いので二発聞いたことにしたと述べているのである。右供述録取書にあるような事情があつたとしても、滝山が検察官の面前においても何故に二発の銃声を聞いたと供述したか若干釈然としない感を禁じ得ないが、この点を別としても、滝山が捜査官の取調を受けた当時は、捜査官において、前記佐藤博から同人が白鳥課長に拳銃を二発連続発射した旨を聞いたとする追平雍嘉の供述はいまだ得ておらず、かつ、前述したように本件現場附近にあつて銃声を聞いた者の中には、銃声は一発であつたとする者もあつたのであるから、当時捜査官として滝山に銃声を二発聞いたのではないかと執拗に迫る事情があつたとは認められない。したがつて、従前の供述を覆えした滝山の供述録取書の記載に全幅の信頼を措くことには躊躇を感ぜざるを得ない。

次に高橋アキノの供述録取書について考察する。同人は、前記検察官調書中では、犯行を目撃した際の状況として、パチパチと大きな音が二度したと述べているのに対し、供述録取書中では、音は一回であり、パチパチというのは火花のことで、そんな火花が見えたということであると述べているのである。しかし、同人の検察官調書の記載は、パチパチという大きな音が二度してその瞬間前の自転車の人の腰から一寸下あたりに線香花火のような火が見えたというもので、パチパチという音と火花とを明確に区別しているのであり、右記載に照らすと前記供述録取書中の記載も十分な信用性ありとはなし難いのである。なお、所論は、原記録二六冊一〇八二九丁の昭和二七年一月二三日付北海タイムス中の高橋アキノの談話として「私の前一間位のところを自転車に乗つた男が走つているところへ、更に後から私の左側をもう一台自転車の男が追越してゆき、前の自転車の右側へ寄つたトタンにパンと音がし、両自転車の間に火花がパッと散つた。」との記載は、アキノの供述録取書の裏付けとなるものと主張する。たしかに、新聞に記載されている右アキノの談話は、同人が聞いた銃声は一発であるとの印象を与えることはこれを否めない。しかし、一般に新聞紙中の談話は、新聞記者が短時間に相手から聞き出したことを、相手に対する読み聞け及び相手の署名等を経ずに記事にするものであるから、その大筋の正確性はともかくとして本件のような音が一発か二発かというような細部の事実についてまで常に正確性を保持しているとは認め難い。したがつて、右北海タイムスの記載もアキノの供述録取書の記載の信憑性を十分に担保するものとは言い難いといわなければならない。さらに、高橋豊三郎の供述録取書について考えるに、右供述録取書の内容は要するに、妻アキノから事件の目撃状況として、自分の眼の前で二台自転車が走つていて、パンクのような音がして、火花が見え一台の方が倒れたというような話を聞いたというのであつて、伝聞を内容とするものであることが明らかであるから、その証拠としての意義ないし役割はそれほど重要なものとはいえないであろう。のみならず、右供述録取書は、事件後約九年半を経てはじめて作成されているのであるから、妻アキノの言葉をどれほど正確に伝えているか疑問があるうえに、同女の語つた言葉が右供述録取書のとおりであつたとしても、「パンクのような音」というだけでは必ずしも銃声の音が一発であるとの趣旨を示すものとも認められない。以上を要するに、滝山健三、高橋アキノ、高橋豊三郎の各供述録取書は、いずれも本件の発射弾丸が一発であることにつき十分な証拠価値を有するとはいえないのであつて、原判決が発射弾丸が二発であることの認定に供した坂本勝広らの供述と対比して、この点についての原判示認定を覆えすには足りず明白性を欠くといわなければならない。

(二)  犯人の自転車に関する点について

次に、所論は、原判決が追平雍嘉の供述中、実行行為者とされている佐藤博から「犯行の時乗つていた自転車は『オト』から借りた。」と聞いたとの部分に関し、「オト」は札幌委員会のレポをしていた音川かあるいは弟の両様の意味にとれると判示していることにつき、犯行後犯人が乗車していた自転車が右両名の物でないことは明瞭で、このことは当時採取されたと思われる自転車のタイヤ痕に関する証拠を顕出することによつて明らかになると主張する。

ところで、原記録中の検察官荒谷小市作成の昭和二七年一月二一日付検証調書によれば、同検察官が同調書に記載されている検証の際現場に残されている自転車のタイヤ痕の採取方を警察鑑識係員に指示した事実が認められるから、右タイヤ痕に関する証拠が検察官の手許に存在したらしいことは、原裁判所においても知つていたと認められる。そして、もし捜査官において追平の供述に現われている音川および佐藤博の弟の自転車を発見しそのタイヤ痕が現場に残されていたそれと一致することを確認したならば、そのことは重要な積極証拠となるにもかかわらず、検察官の証拠調請求がないということについては、右の事実を確認できないという以外合理的な理由は考えられず(なお、原第一審の検察官最終論告において、検察官は、本件自転車についてそれが音川あるいは佐藤博の弟等のものであることにつき完全な裏付けを得ることができなかつたと述べている。)、右の原訴訟手続上顕著な事実に照らすと、原裁判所としては現場に残されたタイヤ痕と特定人の自転車との結びつきが得られないという事実を念頭においた上で判決を下したものと認めざるを得ないのである。そうとすれば、所論がその提出を求めるタイヤ痕に関する証拠が新規性を持つとすることには疑問があろう。のみならず、右の証拠の申出のごときは、原審の訴訟手続においていつにてもこれをなし得たと認められるのであり、それにもかかわらず、請求人又はその弁護人においてあえてこれをなさなかつたと認められる以上、この点からも証拠の新規性については疑問があるといわなければならない(一の(一))。

さらに、念のためその明白性について考えるに、所論が顕出を求める証拠は直接には原審追平供述の信憑性に関するものであろう。しかるに、追平雍嘉の供述の信憑性については、原判決が多くの部分を割き、積極消極の多くの証拠を総合しつつ慎重に検討を加えたうえ、右供述中には事実に反する点のあることをも認めながら、その根幹をなす佐藤博から犯行の模様をきいたとの部分は措信するに足ると判断し、原上告審判決もこれを是認しているのであつて、追平供述の信憑性に関する多岐にわたる証拠にさらに所論が顕出を求めるタイヤ痕に関する証拠一つが加わつたとしても、それが原審において請求人又はその弁護人が証拠調請求を思いつかなかつた程度のものとすれば、このことによつて原審追平供述の信憑性に関する評価が決定的な影響を受けるものとは到底認め難い。

これを要するに所論がその顕出を求めるタイヤ痕に関する証拠は新規性かつ明白性を備える証拠とはいい難いといわなければならない。

(三)  白鳥課長の犯行前の足取りに関する点について

所論は、本件犯行直前白鳥警部補が南六条西五丁目において後藤はるみと出会つた際、同課長は当日朝家から持つて出たジヤンパーおよびズボンが在中していた風呂敷包みを自転車荷台にゆわえていたのに、現場では中味がなく風呂敷だけがポケツトから発見され、結局後藤はるみと出会ってから現場において射殺されるまでの間の同課長の行動は明らかでない、一方、当時札幌市警警務課長をしていた浜巌は、昭和二七年二月九日付で「事件当日の午前九時半頃白鳥課長から、依頼されていたアノラツクを持参したから取りにくるようにとの電話があり同課長の机上からこれを持つてきた。」と明らかに右の事実に反する報告書を提出しており、このことからすれば、当時警察側が事件直前の白鳥課長の足取りをはつきりさせないよう画策した疑いがある。よつて、この点に関する捜査機関保持の全証拠の取寄せを求めるとともに、当時の白鳥課長の行動や面接者等が詳細記録されていると認められる同警部の警察手帳の取寄せをも求める。これによつて、実行行為者とされている佐藤博から白鳥課長を追跡した状況をもきいたとする追平供述の虚偽性を明らかにし得ると主張する。

ところで、刑事訴訟規則二八三条は、再審請求に際しては、趣意書に証拠書類および証拠物を添えてこれを管轄裁判所にさし出さなければならないと規定するところ、右規定を、趣意書に現実に証拠書類等を添付して提出する必要はなく趣意書とともに証拠方法を特定して申し出ることをもつて足りるとの意に解し得るとしても、本件の場合においては、所論が取寄せを求める警察手帳がいずこに存在するかすら明らかでないことは所論に徴して明らかであり、またその他の取寄せを求める証拠は、証拠の内容はもとより証拠の存在する明らかでないのであるから、このような証拠の取寄せの申立をもつてしては、到底刑事訴訟規則二八三条の手続を遵守したものとは解し難い。

かりに、これを適法と取り扱うとしても、白鳥課長が本件当日の午後七時頃後藤はるみと出会つた後射殺されるにいたるまでの行動に所論のような詳かならざる点のあることは、原訴訟記録中後藤はるみの司法警察員に対する供述調書(二通)等によつて原審当時すでに判明していたのであるから、前記のような証拠取寄の申立は原審においていつにてもこれをなし得たと認められるのであり、それにもかかわらず、請求人又はその弁護人においてあえてこれをなさなかつたと認められる以上、(二)に述べたのと同じく、右申出にかかる証拠が新規性を有するものと解することには疑問があるといわなければならない。

さらに、その明白性について考えるに、右取寄せにかかる証拠が本件において占める意義は原審追平供述の信憑性に関すると認められるところ、(二)について述べたのと全く同じ理由により所論が取寄せを求める証拠が加わつたとしても、このことによつて右追平供述の信憑性に関する評価が決定的に影響を受けるものとは到底認め難い。

以上の次第で、所論が取寄を求める白鳥課長の犯行直前の足取り等に関する証拠は新規性ある明白な証拠とはいい難いといわなければならない。

(四)  犯人の犯行後の足取りに関する点について

所論は、白鳥課長の射殺犯人の犯行後の逃走経路に関しては、西一七丁目の角を南に曲つたということ以外明らかにされていないが、この点に関する証拠は、検察官の手もとに存在するはずであり、これを顕出することによつて実行行為者とされている佐藤博がそのような逃走経路をとるはずがないことが明らかになると主張する。

しかし、このような証拠の特定性を欠く申出は(三)に述べたのと同じ理由により、刑事訴訟規則二八三条の手続を遵守しているとは認められないのみならず、原審において請求人又はその弁護人からいつにてもその取寄請求をなし得たと認められる以上、新規性の要件を満たしているとも認められない。

さらに、犯人の逃走経路が原審当時判明していたところよりも、若干明確になつたとしても、それのみによつて、所論のように実行行為者とされている佐藤博が本件に無関係であることが明らかになるとは到底考えられないから、所論が提出を求める証拠が明白性を欠くことも明らかであるといわなければならない。

六  追平雍嘉の供述の信憑性に関する所論について

所論は、原判決が請求人の有罪を認定するにつき有力な根拠とした追平雍嘉の捜査当時および原審における供述の信憑性を争い、同人は捜査官憲のかいらいにすぎないと主張し、その証拠として同人の著書である証第一三号(「白鳥事件」なる書物)を引用する。

たしかに、右白鳥事件なる書物は、所論の指摘するように本件の捜査の経過および事態に面しての捜査官の心境の微妙な点についてまで触れており、あたかもその著者である追平雍嘉が当時の捜査官憲の一員であるかのような印象を与えるほどである。しかし、そもそも右著書は、一般大衆を対象とする市販の書物であり、右のような印象を与える箇所も単に所論指摘の部分にとどまるものではない。その冒頭の「火を吐く拳銃」の部分からしてすでにそうである。このことは、「事実に基いた描写を中心とする。」という著者追平のはしがき中の言にもかかわらず、著者である追平が市販の書物にふさわしく、読者の興味を惹くよう適宜推測をまじえつつ、右証第一八号を著したことを示している。したがつて、その中に書かれているような事実は、全くの創作ではないにしても、著者である追平が被疑者として取調を受けた際捜査官から耳にし、あるいは後述するように、高安知彦の特別弁護人としての立場上知り得た事実に、多分に推測をまじえ、右証第一八号に現われているような文章にした疑いが強いのである。また、右著書中には本件に関する多数の証拠写真等が掲載されているけれども、右追平が本件白鳥課長殺人事件の幇助等によつて起訴された高安知彦の特別弁護人で右事件の証拠(その大多数は同時に本件殺人事件の証拠ともなると認められる。)を閲覧謄写し得る立場にもあつたこと、および右高安知彦に対する殺人幇助等事件は第一審判決に対する上訴がなく確定するにいたり、その後において右事件の記録は公開の対象とされるにいたつたことはそれぞれ当裁判所に顕著な事実であり、これによれば証第一八号に前記写真等が掲載されている事実は必ずしも怪しむに足りないであろう。以上を要するに、証第一八号によつて、所論のように追平が捜査官憲のかいらいであると認めることはできず、したがつて、右証第一八号は新規性はともかくとして、原判決が前述したように詳細検討した原審追平供述の信憑性を覆えすには足らず、すなわち、明白性は持ち得ないといわなければならない。

なお、追平雍嘉の供述の信憑性に関するその他の所論、(実行行為に関連して述べる部分をも含む。)は、すでに原訴訟手続において、請求人およびその弁護人が問題にしたことをいままた改めて取り上げ、原判決の証拠判断を非難するにすぎず、新規性および明白性を有する証拠の発見を主張するものとは解し難い。

七  本件の捜査過程を批判する所論について

所論は、種々論拠をあげ、本件は日本共産党およびその党員に対して不当な弾圧を加えることを目的とし、違法不当な長期勾留と接見交通の禁止によつて、被告人らの自白、関係者の供述を強要し、あるいは甘言好遇をもつて誘導し、しかもその間思想転向を強要する等憲法の保障する基本的人権をじゆうりんして行なわれ、その結果捏造されたものであると主張する。そこで所論の各論点に即して、以下に判断を加えることとする。

(一)  吉田哲の供述を引用する点について

所論は、まず、右に述べたことは、吉田哲が白鳥事件に関係した旨虚構の事実を供述したことによつても明らかであると主張し、その証拠として証第一四号ないし同第一七号を引用する。しかし、まず、証第一七号は原第一審第七回公判期日で取調べられ、原記録第一五冊五一六一丁に編綴されているから、それが新規性および明白性を欠くことは明らかである。次に証第一四号ないし同第一六号はその内容の真実性ということではなく、吉田哲が捜査当時に、白鳥課長射殺の用に供したと思われる拳銃を運搬した等白鳥事件に関係したとの内容を有する供述をなしたことの証拠として引用されているものであること、所論に徴して明らかなところ、吉田哲がそのような供述をなしたことおよびその経過は、原審において取り調べられた、(1)原第一審第七回公判期日における証人吉田哲の供述記載、(2)被告人秋元定吉に対する第三回公判調書中証人吉田哲の供述記載謄本、(3)吉田哲の検察官に対する昭和二七年一〇月二九日付、同年一二月一日付各供述調書、(4)原第二審第二五回公判期日における証人吉田哲の供述等の証拠においてすでにあらわれているところであるから、証第一四号ないし同第一六号は、これらに比べ(虚偽の)供述内容が詳細かつ具体的であるからといつて新規性を有すると解することはできず、またそれらが明白性を欠くことも明らかである。

(二)  佐藤直道の供述の信憑性に関する点について

次に、所論は、前記の観点から、佐藤直道の捜査当時および原審における供述の信憑性についてるる述べる。しかし、そのいうところは、おおむね、すでに原審において請求人およびその弁護人が激しく争つた佐藤直道の供述の信憑性についての見解を原審当時取り調べられた証拠に基づきいままたくり返すにすぎず、新規性かつ明白性を有する証拠の存在を主張するものとは解し難い。わずかに、証第一四号および同第一七号(吉田哲の検察官に対する昭和二七年一〇月二九日付供述調書)を引用する部分が新たな証拠の引用に基づく主張と解されないでもないが、まず、証第一七号がすでに原審において取調済みのもので、新規性を持たないと認められることは1で述べたところであり、また証第一四号(「地区委員長((請求人を指す))が白鳥もそろそろやつてもよいな。しかしなんでやるかな。」と志水からきいたとの供述記載部分)についても、原審ですでに取り調べられた吉田哲の前記検察官に対する昭和二七年一〇月二九日付供述調書中に、「志水や小林から、(共産)党の教育の機会に講師(請求人も含まれている。)から『もう白鳥はやつてもいいな。何でやるか。』という話が出たとの話を聞いた。」とする供述記載があることからすれば、その新規性に疑問があるといわなければならない。のみならず、その明白性について考えても、佐藤直道の供述については、追平雍嘉の供述と同じく原判決が多くの部分を割き積極、消極の多くの証拠を総合しつつ慎重に検討を加えたうえ、原判決が証拠として採用している部分は、これを信用すべきものとし、原上告審判決もこれを是認しているのであつて、多岐にわたるこの点の証拠に、さらに証題一四号が一つ加わつても、これによつて佐藤直道の供述の信用性に関する原判決の評価が左右されるにいたるとは到底認められないというのほかはなく、結局右証第一四号は明白性を欠くといわなければならない。

(三)  高安知彦の供述の信憑性に関する点について

さらに、所論は、前記の観点から高安知彦の捜査当時および原審における供述の信憑性を争い、その証拠として証第一八号、同第一九号を引用する。

まず、証第一八号は高安がその生い立ち、本件白鳥事件の動機、現在の心境等を綴つた手記であるが、所論は、その中に高安が取調を受けた当時の不安、動揺、ひいては同人が捜査官に迎合し虚偽の事実を供述するにいたることを物語る供述が見受けられるとするのである。しかし、所論が問題とするような高安の捜査当時の心境ということについては、内容的に証第一八号に比べ簡潔であるとはいえ、すでに、原第一審第二〇回および第四二回各公判期日における高安の供述中においてこれとほぼ同趣旨の供述があらわれているのみならず、所論が問題とする長期の身柄拘束を受けた者の抱く心理的不安、動揺等というようなことは、その者の供述をまたなくとも、裁判上一般に推測し得ることであるから(このことは、次にみる原判決の説示からも窺えよう。)、証第一八号が新規性の要件を備えると解することはできない。のみならず、その明白性について考えるに、原判決は、高安は本件等に関する容疑もしくは嫌疑を受け、その故に逮捕、勾留されその勾留期間は相当長期にわたつたことおよび同人が自己の容疑に不安を感じていたことは看取するに難くなく、これらの事情から、その供述は身柄の拘束を受けない第三者的立場にある者の供述に比し、証拠判断に特に意を用いなければならないとし、まず高安の供述時の外部的事情につき慎重な考慮を払いつつ、その内容の信憑性を判断した結果、これを信用すべきものとし、原上告審判決もこれを是認したのであり、さらに、そもそも、右証第一八号は、所論の指摘するような取調当時の不安、焦慮、動揺等に時おり触れつつも、同人が捜査官に告白し、かつ原第一、二審公判廷においても維持し請求人の有罪認定の根拠となつた供述が真実であることを述べる趣旨のものであるから、これらの点に照らすと、右証第一八号の存在によつて、高安知彦の供述の信憑性に関する原判決の判断が左右されるにいたるとは到底認められない。

なお、高安知彦の供述に関するその他の所論は、何ら新たな証拠を引用することなく右供述の信憑性を争うにすぎず、新規性および明白性を備えた証拠の存在を主張するものとは解し難い。

次に、証第一九号は、検察官高木一等に対する準起訴請求についての札幌地方裁判所第一刑事部昭和三〇年一二月二三日付決定であり、所論は、右証第一九号によれば、高安は、本件白鳥課長殺害事件に関係する爆発物取締罰則違反事件の被疑者植野光彦とは旧知の間柄であり、同人の写真と他人の写真とを見誤るはずがないのに、捜査官から別人である玉井仁の写真を示されるや、八五点から九〇点まで植野に似ていると述べたことが明らかであり、このことも高安が検察官のあやつり人形でありその供述が信用できないことを示すものと主張する。しかし、この事実があるからといつて、証第一八号の場合と同じく、慎重検討を尽くしたうえ到達した、高安知彦の供述の信憑性に関する原判決の判断が左右されるにいたるとは到底認められない。のみならず、右証第一九号によれば、植野光彦と旧知の間柄でありながら、玉井仁の実物又は写真を見て、同人を植野に似ていると指摘した者は、ひとり高安にとどまらず他にも少なからずおり、そのなかにはさらに進んで玉井を植野と同一人物であると断言した者も一、二にとどまらず、一方高安はその後玉井と直接面接したところ同人は植野と別人であると申し立てたというのであるから、高安が当初玉井の写真を見た際に同人と植野が似ているといつたからといつて、所論のように高安が検察官のあやつり人形であると即断することはできず、この点をも併せ考えるならば、証第一九号が明白性を持つと解することはいつそう困難であるといわなければならない。

八  いわゆる行動証拠に関する所論について

所論は、請求人の人となり、一五年間にわたる無実の訴え、請求人の詩にみられる訴えの正当性と真実性は、請求人が本件につき無実であることを如実に物語るものであると主張し、その証拠として、証第二三号ないし同第二六号を引用する。

右のうち証第二三号ないし同第二五号はいずれも請求人が著した詩集ないし文(手記)集で、その内容は本件に関係するものは、いずれも自己が無実であることを主張するものである。

しかし、自己が本件につき無実であるということは請求人が原訴訟手続において一貫して訴えているところであるから、右証第二三号ないし同第二五号は、かりに新規性を有するとしても、それは、請求人が、原判決確定前後を通じて自己の無実を詩ないし手記という形で訴えつづけているということに限つていえることである。そして、このことは、請求人が本件につき有罪か無罪かという判断を左右するほどの意味を持ち得ないといわざるを得ず、すなわち、右各証拠は明白性を欠くといわなければならない。

また、証第二六号は白鳥事件中央対策協議会の編集制作にかかる「かえせ国治」なる八ミリフイルムであるが、その内容は、無実を訴える請求人の支援活動をえがく部分が大半を占めているのであつて、請求人が本件につき有罪であるか否かについては直接の関連性を有せず、到底新規性および明白性を備える証拠とはいい難い。

九  結論

以上考察したとおりであつて、所論引用の証拠はすべて刑事訴訟法四三五条六号の「無罪を言い渡すべきことが明らかな新たな証拠」には該当しないといわなければならない。個々の証拠においてそうであるのみならず、うち新規性ありと認められるもの(それが疑わしいものをも含め)を全部総合してみても、請求人を有罪とした原判決と異なる事実認定に到達する高度の蓋然性を認めることはできず、明白性の要件を欠くといわなければならない。

よつて、本件再審請求はその理由がないから、刑事訴訟法四四七条一項によりこれを棄却すべきものとし、主文のとおり決定する。

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